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インターネット公開文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董70. 古九谷濁手徳利の不思議


古九谷徳利

 私が敬愛する偉大な書家であり、料理人であり、陶芸家、芸術家である北大路魯山人は、古九谷は世界一のやきものと激賞しました。私は北大路魯山人の世界を追うように、彼の著書「魯山人陶説」を座右の書として長く持ち歩き愛読してきました。


「魯山人陶説」

 現在の本は二冊目で、それもかなりページが抜け落ち、ボンドで補強したりして持たせている状態です。この「魯山人陶説」は素晴らしい本で、長年読んでいて、疑問点一つ見つからない本なのです。各章に繋がりがないからどこから読んでも問題ありません。私は大抵の本を読むと、ここはおかしいとか、これは違うと思うことが必ずありますが、この「魯山人陶説」にはひとつも疑問はわかず、すべてが心に自然に落ちます。それは今も変わりません。なぜなのか考えました。それはこうなんだと考えました。魯山人の素晴らしさは、すべて「体験」に裏打ちされた知識であり、自分が確信した技術、表現に裏打ちされた知識ですから、自らが納得し、自信を持って経験したことを書いている点にあるということが分かりました。魯山人の卓越した芸術センスと技術は、すべて体験から得た彼の血であり、肉であったのです。


魯山人最晩年のころの制作になる「銀彩杜若図皿」

 私も私なりに古九谷を集めて観賞しつ、魯山人の独特な書きっぷりの言葉を反芻しながら味わっています。

 ここに書いてみたい気にいった作品も多々ありますが、今回の古九谷の徳利は大変珍しく、今は会員のIさんにお譲りし、そちらの手元にありますが、思い出深い作品です。


私のお気に入りのもう一枚、古九谷色絵鳥図皿

鳥部分の拡大写真・見事な繊細な線による口と足の描き方

 描かれた花に濁し手の白が使われてます。この徳利は伊万里古九谷のふるさと、有田の親しい古美術商から購入しました。購入当時はこの濁し手の花には気がつかず見逃していましたが、何気なく眺めていて気がつきました。

 濁し手の金銀彩は1658年から約10年ほどしか制作されずに衰退、消滅しましたが、伊万里の技術向上に大変重要な貢献をしました。


濁手の金銀彩向付

 本徳利は金銀彩ではありませんが、次の輸出色絵作品(柿右衛門様式)の色彩を美しく出すための完全な白地、すなはち薄い色も美しく出せる真っ白なキャンバスを完成させる必要がありました。この重要な白磁の完成を目指していた頃、古九谷の制作時期の最後のあたり、すなはち1650年から58年頃と思われます。姿、特に上部の口作りに初期伊万里の面影がうかがえ、稜線に玉縁風の丸みが見事についていて、さりげなく技術を見せてくれています。製法は左右半分の型使用で、美濃の織部の向付に良くみる布目跡が底に確認できます。口部に薄く呉須が引かれてますから、全体に薄い伊万里独特のイス灰釉による軽い青みが出て、しゃれた古九谷の特徴の赤いベンガラの光沢のない赤線が小気味よく入り、そこに白い花が描かれてます。


美しい濁手の白い花

 私はかつて有田の九州陶磁文化館を訪れた折りに、館長にお話を伺ったことがありました。館長にはかつてNHKの「趣味悠々」の取材の折りに大変お世話いただいた経緯があり、また会員の皆様と学院旅行で伊万里の古窯を探訪した折りに博物館の列品解説をお願いしたりでお世話になっていました。せっかくですからお会いした折りに、「濁手」についてお尋ねしました。私はかねてから、柿右衛門家の主張する濁手白磁には呉須下絵が入らないため、釉薬に何か白い粉末を入れていると考え、館長に濁手の成分分析をされてますか?と尋ねましたら、されてないとのお返事でした。なぜされないのかは、私には分かりませんが、今後なさるであろうことに期待した記憶があります。私は柿右衛門家が主張する独自の白い磁質によるものではなく、後のマイセン白磁のようなボーンチャイナ、すなはち白い骨粉を入れているのではないかと考えました。そう考えると高価な呉須を下絵に入れない意味が理解出来ます。下絵が濁り、無駄になるからです。

 この徳利の白い花は見事なくらい白いです。果たしてこの純白の素材はなんでしょう!?不透明なことから白い素地でないことは確かです。

 古美術はこうして細かく探求して行きますと、楽しさ百倍です。製法の謎にも迫れます。掌にのせて観賞すると、魯山人が世界一と言った古九谷の魅力が理解できるように思いました。


私が最高と思う古九谷作品 布袋図大皿(重要文化財・石川県立美術館)

今回の濁手徳利
掌(てのひら)の骨董
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