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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董82.草創期伊万里呉須絵蓮華文杯 連載1回目/3回連載のうち


草創期伊万里呉須絵蓮華文杯

 今回は、前回の「初期伊万里青磁筒形香炉」に引き続き私の愛する「草創期伊万里呉須絵蓮華文杯」について、3回にわたり書いてみたいと思います。

 伊万里は磁器質の作品で、始まりは1610年頃とされ、以来現代まで作り続けられています。

 今回の草創期伊万里は初期伊万里の最初期に制作された一群の磁器をいいます。年代的には1610年から1、2年間ほどの試作品的な作品と推定されます。
焼かれた場所は西有田の小溝窯周辺で焼かれていた唐津系の窯で焼かれました。

 では本論に入る前に、磁器とはどういうものでしょうか?意外に知られないその基本に立ち返り、またそもそも磁器の大元である「焼き物」とは何かを考えてみましょう。

 焼き物とは、高温で焼かれた皿とか容器です。では一歩話を進めて、なぜ焼き物というのでしょうか?そうですね、確かに焼くと土は固くなります。


世界最古の歴史を持つ「縄文土器」

 少し回り道になりますが、人類を他の動物と分ける特徴について考えてみましょう。
通常、以下の4点が上げられています。
①言語を使う
②道具を使う
③火を使う
④二足歩行する
と教科書には書いてあります。私はこの4項目に「葬送を行う」を加え5項目にしたいと思います。それにつきましてはまたの機会に詳しく書いてみたいと思います。今回は以上述べました内の②と③に該当します。

 さて、大きく分けて、焼き物には4種類あります。
A土器 B炻器(せっき)C陶器 D磁器と区分けされます。


縄文土器(縄文中期)

 旧石器時代末期の昔の人達は狩りをして、火で獲物の肉を焼いて食べました。推測を交えて考えてみます。火で焼いた跡をさわると土が固くなっていました。そこで土をお碗状に丸く作り、火の中に入れて焼いたら固い「土器」が出来ました。現在、世界最古の土器として確認できる土器は青森県津軽半島の先端に近い大平山元(おおだいやまもと)遺跡出土の土器片で、放射性炭素C14年代測定法により紀元前14500年のものであるという結果が出ています。今から考えますと、16500年前となります。


世界最古の土器陶片

 世界最古の文明は、四大文明とされるエジプト、メソポタミア、インダス、黄河とされ、どんなに古くても紀元前8000年から紀元前10000年とされてきましたが、それを大きく上回る結果でした。

 人類はアフリカで誕生して世界に広がりましたが、なぜ最古の土器文化が日本の津軽半島先端、龍飛崎に近い場所に成立したのでしょうか。それは大変興味ある疑問ですが、きっとイスラエル建国後にアッシリアに幽閉された後に大多数のユダヤ人たちが東方に消えた理由と類似した原因があると考えられます。まあそれを考えたのは25年前のことで、それもいつか書いてみたいことの一つです。


縄文土偶(亀ヶ岡遺跡出土)

 さて土器はそのように発明されましたが、土器を更に頑丈に高温に焼き固めるためには「窯」が必要でした。火を燃焼させた時、後に陶器、磁器を焼いた「窯」の内部温度と土器を焼いた「野焼き」である外の温度差は大きなものがありました。外で焼くとせいぜい500℃から高くて700℃とされます。窯の中で焼きますと、茶道で有名な「楽焼」は低めで800度くらい、一般的には1000℃から1400℃近くに上がるとされます。窯は西域からの伝来です。


魯山人の使った窯

 窯の特徴、素晴らしさは高温を作り出す「還元焔」焼成という方法で焼けることです。

 通常我々が生活する温度は35℃がかなり高温で、大半はそれ以下です。火をつけると周囲の空気温度が低いから火の温度は上がりません。

 外の大気から遮断された、傾斜地の窯の中で火力の強い赤松を燃焼させますと入口から酸素が入り、燃焼して煙突から煙が排出されます。温度が上がりましたら、入口を狭めて空気(酸素)の入る量を少なくします。すると窯の中の温度は上がり始めます。外部の冷たい空気が少なく入れば、内部の温度は当然上がります。そのように酸素不足で火が消える寸前まで空気を絞る、その限界が「還元焔焼成」と呼ばれ、最高の温度が得られるのです。逆に酸素を多めに入れる「酸化焔焼成」では高温になりません。鉄分の多い土を酸素の多い焔すなわち「酸化焔」で焼きますと土の鉄分が酸素と結び付いて赤く酸化します。いわゆる「赤錆」現象が窯の中で急速に起きます。信楽焼や日本の焼き物が赤いのはこの為です。


日本の六古窯「古瀬戸小壺(平安時代後期から鎌倉時代初期)」

 更に窯の高温で焼くメリットはもう一つあります。土を石のように固く焼くためです。もともと焼き物に適した陶土には微細の長石という、約1000℃で溶ける鉱物が含まれています。土の中にたくさん含まれる長石の粉末が1000℃以上の窯の中で焼かれて溶けますと、ドロドロに溶けた長石が土の成分や砂質の土を回りから包み込みます。冷えるとガラス質に変質した炻器が出来ます。科学者の内藤匡(ただし)さんはこれを焼き物の「おこし」現象と呼びました。浅草の名物お菓子「おこし」は蒸された米や粟を水飴がまわりから固めます。内藤さんは焼き物も同じだといいます。確かに米や粟は土や微細な鉱物、溶けた水飴は溶けた長石と考えれば、焼き物が固くなり、水も通さず頑丈になる不思議さが理解できます。そのように土を長石により変質させるために「焼く」訳です。


日本の六古窯「渥美小壺(平安時代後期)」

 話を元に戻しますが、その酸素を多めに窯に送り込む反対が「還元焔焼成」です。冷たい酸素を究極まで少なく窯に送り込む、すなわち火が消える寸前の酸欠状態に窯の中がなりますから、火は焼き物から酸素を奪い燃焼しようとします。ですから、鉄分が還元されて青色、緑色を帯びます。この時、窯の内部は最高の温度になります。すなわち釉薬の中の鉄分が還元されたのが深いブルーグリーンの「青磁」となる訳です。


呉須絵鍋島青磁鉢

 言葉で言うと簡単に思えますが、実際は大変な経験と技術、手間と経費がかかります。そのため昔は高度な焼成技術の必要な青磁は高額でしたし、そもそも伊万里成立まで日本では出来ませんでした。輸入品である青磁茶碗などは最高級美術品として高額な値段で取引されたのでしょう。

 Bの炻器は焼き締め陶器のことをいいます。備前や古墳時代の須恵器のように釉薬を掛けずに高温で焼いた素焼きの焼き物を「炻器」と呼びます。代表は備前です。


備前お預け徳利(桃山時代)

 C陶器はその炻器に釉薬を掛けた焼き物ということになります。通常の施釉された焼き物となります。

 Dいよいよ今回の伊万里磁器になりました。磁器とはなんでしょうか?今まで述べて来た焼き物の原料は土でした。しかし磁器はカオリナイトという「石」が原料なのです。そもそも原料が違うのです。日本人は焼き物と聞くと、土から作るという常識概念がありましたが、磁器はまったく異質な焼き物なのです。石灰岩を思わせる、真っ白な原石で、これを水車で粉砕して、微細になるまで砕きます。更に微細になったら粉末を水で捏ねて原料とし、轆轤で薄くひいて美しい作品に仕上げます。高温でないと完全に固くなりませんから、還元焔焼成で焼かねばなりません。従って釉薬内部の鉄分が青磁になりやすく、伊万里作品は少しブルーがかった色をして、キンキンに固く焼かれています。焼成温度は1350℃から1400℃を越える高温となります。


草創期伊万里呉須絵蓮華文杯

 薄くて硬質、美しい磁器はこうして作られて来ました。

 この磁器の製法を、秀吉の朝鮮出兵の折に日本に連れてこられた陶工たちが伝えました。彼らは材料を求め伊万里の山の中を探しました。地質学的には大昔、九州と朝鮮半島は繋がっていたとされ、地質も九州は朝鮮とよく似ていましたから、カオリンは比較的早く見つかりました。1616年、今の泉山で李参平がその最初の発見をしたとされていますが、他からも発見されてますから、すでに1610年には発見され、試作されていたのではないかと考えられるようになりました。その最初に製作されたのが西有田を中心に唐津焼きの窯を利用して焼かれた「草創期伊万里」ということになります。


「同じ草創期伊万里呉須絵小皿」の陶片

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