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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董110.古代中国初期・紅山文化時代の鳥形玉器について


掌の鳥形玉器(著者蔵)

 今回は古代中国の紅山文化の鳥形玉器について書いてみたいと思います。紅山文化とは聞きなれない名称かもしれませんが、実は中国にはこの興味深い初期古代文化がありました。旧石器時代はどこも古く、人類の出現・発展とともに進化して行き、今やその歴史は200万年前に遡ると言われます。それは世界的には新石器時代に移行する約1万年前からとされます。しかし日本には紀元前14500年前から土器を製作し、それが断トツに古い世界最古の文化とされています縄文文化(文明に格上げすべきとの声もあります)があります。しかし縄文時代は磨製石器の時代ですから、日本の場合の新石器時代は縄文時代から始まるとされています。

 古代史という領域を中国の場合はどう考えるかといいますと、私は先史時代を含め、漢時代までを一つの枠として考えています。その理由はこの漢末の時代を生きて、三國志で活躍した魏王・曹操は柔軟な発想で、優秀な武将にして政治家また文学者でもあり、近代的な思考能力を持ち、その姿勢は近代人に似た生き方、新しい感覚を持っているからです。

 古い因襲を打破し、彼の豊富な戦争経験から合理的な「孫子の兵法」を徹底的に解析し、注釈を付けた「新・孫子の兵法」を発行し、部下に徹底させるなど、富国強兵を推進すると共に、独自の合理的な思考から戦略、人としての生き方を模索しました。また曹操の下で功を立て続けた司馬懿(しばい)は曹操の死後、大権を握り、西晋の礎を築いた司馬炎の祖父になる人物で、字名は仲達といい、諸葛孔明の影に隠れた存在ですが、素晴らしい武将であり、政治家でした。こうした武将・政治家が次なる時代を拓いてゆく礎を築きました。

 さて、中国古代文化は次のような歴史をたどります。

●河姆渡(かぼと)文化(紀元前5000年頃-紀元前4500年頃)

●三星堆文化は、紀元前約5000年前から紀元前約3000年前頃

●仰韶(やんしゃお)文化 紀元前5000年頃から紀元前2700年頃

●紅山文化(紀元前4700年頃-紀元前2900年頃)

●良渚(りょうしょ)文化 紀元前3500年頃から紀元前2200年頃

●夏(か・紀元前2070年~1600年)

 ここまでを先史時代といいます。

●商(殷・紀元前1600年~紀元前1046年)

●周(紀元前1046年~紀元前256年)

●秦漢時期(紀元前221年~220年)

●秦(紀元前221年~紀元前207年)

●漢(紀元前206年~220年)

 私は4番目(年代的にはほぼ2番目)にでてくる紅山文化は三星堆文化の影響を強く受けているように思います。三星堆文化は青銅器文化で、奇妙な怖い顔の青銅マスクが特徴です。皇帝のシンボルとなる龍が生まれ、それが紅山文化の玉器に反映してゆく時代、そのように思っています。


三星堆遺跡出土の権威のシンボル「青銅マスク」(三星堆遺跡美術館所蔵)

 それを論じますと、話はまた長くなりますから、次のテーマとしてまたお話する機会があることでしょう。「紅山文化」は長い中国の歴史のなかでも最初期の文化であるということはいうまでもありません。一時、三星堆ブームの時に、かなりたくさんの贋作の紅山文化玉製品が出回りました。まあ作りやすいし、未知ということもあったでしょう。写真は共に博物館にも陳列された真物です。


紅山文化の古玉器。龍の顔が三星堆の青銅器仮面から新しい古玉器に厳しく応用されているように思われます。(筆者蔵)

 「古美術」につきましては何回もお話ししましたが、新しいか古いかということは非常に大切な真贋のポイントです。なぜなら、贋作は大半、新しく作られて少し古く見せるように細工しているというのが常套手段であり、それが大半だからです。

 どんな物でも、物質は変化するという事実は永遠の真理で、仏教の「大般若経」のエッセンスをまとめた「般若心経」には核心ともいうべき「色即是空 空即是色」という一節があります。すなはち色は物体を意味しますが、その物体は必ず変化する(空)。また逆に、変化する物は色のある物体である。仏教の不変の核心ともいうべき真理とされています。変化とは、言葉を変えますと「劣化」ということです。

 人間は赤ちゃんとして生まれた時は、柔らかい、光り輝く透明感のあるプチプチの肌をしてますが、だんだん年を取るにつけて、その肌は荒れてシワも増えて、最後は水気さえなくなり、枯れてカサカサになります。これが「劣化」です。赤ちゃんか老人かは一目瞭然です。皺やカサカサを見れば歳を取っていることが分かります。ですから本物である可能性はぐんと高くなります。

 時間の差はありますが、どんな物にも劣化現象は起きます。しかしその劣化現象を作ることは現状ではできません。その変化、劣化現象をみるには、40倍のルーペが必要です。肉眼では難しい。これから本当に古い玉や陶磁器を本格的に勉強したい方には絶対的に必要です。できればライト付きルーペが望ましいです。ヤフオクで安く売ってます。


著書愛用のライト付きルーペ

 今回の紅山文化の玉(玉とは高貴で数少なく、霊力を持つとされる貴石をいいます)は権力者のシンボルとなります。玉は翡翠のように固くても長い時間の中で劣化します。その劣化は微妙ですが、それを理解しますと難しい「古玉」の贋作に悩まされることなく、正しく理解することが出来るようになりますと、そこから正しい文化、文明、ひいては「人間」を推測したり学ぶことができ、「歴史」を体感できます。先人が残してくれた「遺産」が偽物では、基準が違いますから、正確な判断はできなくなります。

 さて新しく磨いた石はピカピカしてツルツルです。まさに赤ちゃんの肌です。試しに古いお墓にある風雪に長く晒された古い墓石を見てください。表面はざらざらで、汚れてます。長い時間と風雪、太陽光線に晒された過酷な環境が石を劣化させます。新しい墓石はツルツルしてます。

 古い本物をたくさん観察しますと、その「変化」がどのように起こるかが次第に分かるようになります。その経験を繰り返すことが古玉器を鑑定ということになります。

 中国の激しい戦国時代の始まりは、一般的には周の敬王44年(紀元前476年)、周の貞定王16年(紀元前453年)、周の威烈王23年(紀元前403年)の3説が始まりとして考えられています。


ホータン産の白玉の稚龍(清朝時代・著者蔵)

 そしてそれは紀元前221年秦の始皇帝が斉を滅ぼし、中原を統一したことで終わりを告げます。始皇帝が出る約300年前、東周の前期、春秋時代に孔子(紀元前551年から紀元前479年代)が出て、「白」を高貴、純粋、何物にも染まらない純潔な色としたことから、白が尊ばれることになり、石も白玉が尊ばれ、その後砂漠地帯のホータンあたりから採掘される「白玉」が最高の白玉「羊脂玉(ようしぎょく)」として歴代皇帝に愛されてきました。遊牧民にとり、羊は移動する食料で、最も大切な糧でした。大陸の厳しい寒さに耐え、生きて行くには体力を作る「脂」の摂取が不可欠であり、タンパク質の塊である羊の白い脂身を大切にしてきました。その不透明な白い脂を思い、名付けたのでしょう。遊牧系騎馬民族らしい名前の付け方です。

 春秋時代以前は白への執着はなく、美しい緑とか赤、青、黄色、オレンジなどの、まさに時代によりいろいろな色の玉が愛されたことが特徴です。西洋ではまず数少ないこと(貴重)、高価であること、ダイヤモンドやルビー、サファイアのような煌めきが権威・権力のシンボルとなり、宝石の条件となります。西洋には「配色の妙」があり、デザインにより色の効果を楽しむ文化があります。東洋には「色」に思想と哲学があります。実に興味深いことです。


幼鳥の燕(著者撮影)

 今回の紅山文化の聖なる玉の形は聖獣の一つである「鳥」で、写真の可愛い燕の赤ちゃんのような口をしてます。眼の一部が欠けてますが、長い年月の経過により滑らかに変化しました。


本作品の拡大写真(眼の拡大)

 柳に燕という取り合わせは中国人に好まれる図柄のように思われます。古来、鳥には不思議な帰巣本能があり、人が亡くなると、確実にその魂をあの世の極楽浄土にきちんと運んでくれるとされ、大切にされました。人間の頭を持ち、体は鳥、羽と鳥足を持つ鳥、バーが古代エジプトに誕生し、日本にも伝来し、平泉の金色堂に「華鬘(けまん)」として掛けられていて「国宝」に指定されています。「迦陵頻伽(かりょうびんが)」といいます。このように古来から鳥は神聖なる生き物と見られてきました。


李朝玉器「蛙」(著者蔵)

 もう一つの写真は、朝鮮李朝の玉で、白っぽい石を使って作られた「蛙」の玉製品で、李朝はまさに孔子の儒教が盛んでしたから、貴族(両班)の服から器まで白でした。白磁が発達したのも孔子の儒教の影響です。蛙はおたまじゃくしから蛙になるまでに何回も「変身」します。ですから死から生に復活、再生、変身させて欲しい、そうした切なる願望が反映されています。これも古代エジプトの考え方です。また蛙はたくさんの卵を産み落とします。それは多産、子孫繁栄につながります。


ヒモ通しの穴

 それら2つの後ろに彫られた穴は、首から掛けるヒモ通しで、日本は根付でそれを応用したようです。あるいは彼らも根付のように使っていたのかもしれません。


紅山文化の鳥型古玉作品

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