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インターネット公開文化講座

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「天命起臥之道」に生きる

Dr.BEAUT・ソフィーリッチ代表
医学博士 山中 直樹

「新考える葦・New-Thinking Reed」となろう-16 教育・・その2

 AI・人工知能や量子コンピューター時代では、「教育」で大切なことは「記憶」中心から「考える力」に重点が大きく変わります。
 グーグル・Googleは、既に、一つの機械学習モデルで数百から百万種類の仕事を処理する鉄腕アトムのような「万能AI」の開発をしているのです。

 「意識や感情をどのように学ぶべきか」が重大な課題になっているのです。
 資本主義は危機を迎えており、働き方や貨幣の従来的価値や方法は変わり、地球環境の異変によって人類や多くの自然の動植物の生存までが危険となっています。
 人類はBig Dataに支配されそうです。
 そうした時代の教育は、AIやIoTにとって代わられている従来のような記憶中心では、今や子供や大人にとって必要性が著しく低下しているのです。

 しかしながら、現実の我が国の入学試験制度「知識」を問うような試験を行うことしか"公平"に行えない情けない状況で"正論"だとまかり通っています。
 さすがの文部科学省も、知識中心の教育や入学試験問題で能力を判定するのは、今や時代遅れだとの切迫感は持っていると思います。
 そこで、昨年末に大きな問題になったように、「英語」の試験問題は、独自には作ることが出来ないから、世界に通用している一流のテストを用いようとしました。
 しかし、"公平"なる試験判定が出来ないとのことで、まず、中止、延期になりました。
 あきれたことに、続いて、「数学」や「国語」なども同様の結果で問題や採点を"公平"に出来ないと中止、延期になったのです。
 「英数国」のいずれも我が国は記憶中心の問題しか作成せず試験を行って、それでしか判定が出来ないと文科省が認めたことになります。
 言ってみれば、我が国の入学試験「記憶力」テストで一人ひとりの能力を判定して"公平"な"判定"を行って"能力"ありと合格者を判定していることになります。

 「読解力」、「洞察力」、「創造力、想像力」などの「意識、感情」能力が必要な時代の「公平なる能力判定」は行えないのです。
 現代に大切な能力持った人を判定できないような「入学試験」が使われて「不適切な合格判定」が行われているとなります。
 ますます、「考える葦」としての人間力が問われている時代なのです。
 我が国の国家や文科省は一人ひとりが自分で考えた意見を持たせない柔順教育を伝統的に最重要にしています。
 「教育現場の自主性」は持たせず、「入学試験」までコントロールする伝統があるのです。

「天命起臥之道」に生きる
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