愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

知って得する鉄道旅行術

鉄道ライター/安城学園高校教諭
山盛 洋介

歴史をたどる鉄道の旅

列車に乗って旅をしているうち、思いがけず歴史にふれる瞬間があります。時には途中下車して、駅から散策を楽しみながら、往時に思いを寄せるのも有意義な旅になることでしょう。

名古屋近郊にも、そのような要素を多分に含んだ路線がいくつもあります。たとえば、名鉄豊川線(国府--豊川稲荷)の旅というのはいかがでしょう。
名鉄名古屋から特急で50分、国府に着いたら、豊川稲荷行きの電車に乗り換えます。まずこの「国府(こう)」という駅名自体が、律令制度のもとで全国支配のためにつくられた「国府(こくふ)」に由来しています。中央の役人が諸国に派遣され、統治を進める拠点となった役所です。駅の東側の丘陵地に、当時の国府跡と思われるところが今も残っています。

国府駅の駅名標

その国府を出て、次の駅、八幡までのほぼ中間あたりに、三河国分寺・国分尼寺の跡があります。奈良時代、聖武天皇が諸国に安定をもたらすために造営させた官営寺院で、近年、国分尼寺の跡地が整備されました。小さな資料館もつくられ、いにしえのロマンを身近に感じられるようになりました。国府駅からも八幡駅からも同じような道のりですので、日頃の運動不足を兼ねて訪れてみるのもいいでしょう。

三河国分尼寺の跡地

さらに豊川線に乗って進むと、諏訪町に到着する直前、右手の団地の中に「豊川海軍工廠犠牲者慰霊碑」の建つ墓地があります。敗戦直前の1945年8月7日、豊川海軍工廠とその周辺が大規模な爆撃にさらされ、2700人もの犠牲者を出しました。広島の悲劇の翌日、この愛知でも多くの尊い命が失われました。とりわけ、学徒動員によって工廠で働いていた若者たちが多数戦火に倒れ、その前途が一瞬にして閉ざされました。この墓地へは、諏訪町駅から歩いて10分ほどですが、犠牲になった学生・生徒の母校によって建立された碑もあれば、両親が亡き我が子のために建てた小さな墓もあって、戦争の空しさを無言のうちに物語ります。

豊川海軍工廠爆撃犠牲者の慰霊碑

諏訪町からさらに歩を進め、終点で降りれば、そこは豊川稲荷の門前町です。初詣のときには参拝客でごった返す町ですが、それ以外の時期は長閑な雰囲気も漂います。参拝を終えたら、ぜひ門前町の食事処で稲荷寿司でも味わいたいもの。歴史をたどりつつ、日帰りで気軽に旅立ってみるのも面白いのではないでしょうか。

豊川稲荷に到着した電車

鉄道は、旧街道に沿った路線もいくつかあります。中央本線は、木曽路で旧中山道に沿い、宿場町をつないでいます。木曽福島や奈良井、贄川などで途中下車すれば、江戸時代の面影を残す町並みに出会うことができます。先ほど、豊川へ行くのに利用した名鉄名古屋本線にしても、神宮前から東では旧東海道に沿い、鳴海、有松、岡崎、御油など往時を偲ばせる町をいくつも通り抜けます。ちょっとした歴史のガイドブックを片手に、列車に乗ったり降りたりしながら、歴史のロマンを覗いてみる旅。おすすめです。
知って得する鉄道旅行術
このページの一番上へ