文化講座
幸せになる健康栄養食を食べるには-エピジェネティック(遺伝子調節)茶の湯・Epigenetic Way of Tea・・7 日常茶飯のリアルand/orバーチャル茶の湯-5
「幸せになる健康栄養食を食べるには-エピジェネティック(遺伝子調節)茶の湯」の大前提になるのは、前回のようなSDGs(持続可能な開発目標、Sustainable Development Goals)に適う私たちが生活できる地球環境があってこそなのです。
今や気候危機は不可逆レベルであり、投資家や金融機関が投融資の対象にするのはTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース、Task Force on Climate-related Financial Disclosures)が重大な影響をする時代にあって、今のオリンピック開催はその対象となるか検討する必要があります。
東京2020オリンピック・パラリンピックが猛暑とコロナ禍で行われましたが、25歳以下のZ世代の人たちが多くの金メダルに輝いているのは希望です。
今や、生産を上げるだけの価値観を越えたイノベーションが不可欠な時代です。
こうした世代の人たちが新時代の絆となるエピジェネティック茶の湯が楽しめる地球環境を持続するように私たちは務め、努め、勤めなければなりません。
最近(21年7月20日)、岩波ジュニア新書で『食べものから学ぶ世界史―人も自然も壊さない経済とは?』が、やや一面的に過ぎる感はありますが平賀緑によって大切なことが指摘されている本が出版されました。
その「はじめに」に「経世済民」とは、「世の中を治め人民の苦しみを救うこととあります」から始まっています。
その「経世済民」は、我が先祖の山中頤庵と山中信天翁が目ざしていたことです。
山中頤庵は幼少期の10代で長崎に遊学し異文化を知り、19歳で創立されたばかりの大阪の緒方洪庵による適塾に学びました。
早くから多様な価値観を学んだのです。
それ故か、故郷には帰らずに頤庵は卒業しても草莽の志士として京都に残って活動していましたが、27歳で昇天しました。
兄の山中信天翁が志半ばの弟の意志を引き継がなければと故郷を出て京都で難局を乗り越えました。
維新後は江戸に明治天皇のお供をして下りましたが新政府にがっかりしたのか、数年後には引退を申し出て止めました。
京都の複数の宮家の総務をしばらく務めて、嵐山に明治天皇から貰った別荘で文人として明治の世を客観化して書や文人画などを書いたり、描いたりして今日に残しています。
平賀の「はじめに」では二人の先祖が改善しようとするような、「世界には120億人を養うのに充分な食料があるというのに、現在78億人いる世界人口の内、慢性的な栄養不良の出現に陥った人口は7~8億人いると言われ、約20億人が充分な量と質の食料を得ることが出来ない中~重度の食料不安に面していると言われています」とあります。
しかし、現実は愚かで独善的な専制独裁や軍事勢力、テロ集団や貧困・差別などによる殺人や殺し合いが今も行われています。
オリンピック・パラリンピックで言うDiversity&Harmonyに加えてInclusion(共生)を考えなければなりません。
すべての人たちの飲食を考えてエピジェネティック茶の湯が楽しめる地球環境と平和を求めなければならないのです。
ブッダが言うように、人間も含めて可能な限りのすべての生き物には生きる権利があり、尊重してエピジェネティックな遺伝子調節がWell-beingとなれるイノベーションと共生に努めなければならない時代なのです。