文化講座
かて食&かて茶のグローカル食で「やわらかくつながる」-7
「生きるために食べる。食べるために生きる」と言われています。
人間は自然界から何らかの命の恵みを得て生きていることを忘れてはなりません。
他の生き物の命を奪って食べることによって身体を構成する成分となりエネルギー源を得る必要があるのです。
エネルギーを得るための新陳代謝が生体内機構によって働かなければなりません。
つまりは生きるための構造を維持し、発展させる機能が保たれる必要があるのです。
必要不可欠なエネルギーを産生するための成分は炭水化物、蛋白質、脂肪があります。
そのエネルギー産生のために必要な"工場"が身体構造であり、それに必要な成分を食べなければなりません。
また、体内で必要な成分を合成する代謝が作動するようになっています。
その作動のために不可欠な成分が構造と機能を保つのです。
しかし、体内では作ることの出来ない成分は食べなければならず、それらはビタミン類、ミネラル類であり、さらに必須アミノ酸や必須脂肪酸が必要なのです。
人類は以上のような「生きるため」に必要な成分、栄養成分を摂取するために自然界から確保するために「食べる」のです。
氷河期のような過酷な環境で人類は懸命に生き延びたのです。
数家族が「バンド」と言われる共同集団を作って食べる物を確保するための努力をしてきました。
我が国では一万五千年前から一万年以上に及んだ縄文時代では集団による殺戮は行っておらずお互いに助け合い協力し合ったのです。
アメリカ大陸にあっても、西欧の移民が入る十五世紀までは紀元前一万二千年前よりの中西部大平原地帯やニューイングランド地方の先住民族達は集団的な殺戮は行わなかったのです。
日本では弥生時代に水田稲作が始まってから集団による殺戮が起るようになりました。
つまりは、稲作に有利な土地を確保しようとして譲合いより戦いが始まったのです。
欲得による戦いは、今でも国境などをめぐって不毛な殺戮戦争を行っています。
国家権力によるテリトリー争いはやめて食をお互いに譲り合う"つながり"によって殺戮は無くそう。
人類が「生きるために食べる」時代では権力集団による殺戮は無かったようなのだ。