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信天翁喫茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

「ケガレ・ケ・ハレ」:喫茶・茶の湯のもう一つの道-16

「ワンピース」の価値観と人間関係―6

風狂・風雅の文化:2

 今回は、ワビの喫茶・茶の湯の完成期の風狂・風雅人とします。
 ワビの喫茶・茶の湯は村田珠光に始まり、武野紹鷗による詩歌の導入によって和の文化として大きく前進し、千利休によって完成したと言われます。
 利休は村田珠光、武野紹鷗と大きな違いがあります。
 村田、武野は唐物文化に和物文化を喫茶・茶の湯に導入したことによって和漢の界を紛らかして、今日の日本的文化の創成期を担いました。
 引き継いだ利休は、和物の導入のみならず、自分流の創作創造を行ったことが偉大なのです。
 今日的に言えば、前衛的、POP的貢献です。
 茶室は書院スタイルから草庵スタイルを発展追求して今日に利休作の国宝として残る待庵を代表とする極小空間としての独自の様式を発展させました。
 また、茶碗では、瓦職人の楽長次郎を指導して聚楽第を建造する時に用いられた土を使って独自の美意識による黒赤の楽茶碗を創生しています。
 歪みのあるワビ茶碗の源流的創作だと思います。
 高麗茶碗として珍重されている井戸茶碗はデザインして注文したのです。
 利休は黒茶碗を究極のワビ茶の美意識として好んだのですが、時の権力者・豊臣秀吉が嫌ったことはよく知られています。
 前衛的革新的なことは今日でも既存の価値を重んずる勢力から抵抗されますが、風狂・風雅の強い意志がなければ通俗的、安易な方向に流されてしまいます。
 ワビの喫茶・茶の湯の完成には、利休の弟子で「山上宗二記」を著した山上宗二、今日でも前衛性を失わない織部茶碗創作を指導したと伝わる大胆、自由な創形、抽象的な絵付けを好んだ古田織部も風狂・風雅人であったと思います。
 山上宗二、利休は秀吉に殺され、古田織部は徳川家康に殺されています。
 「ワンピース」で麦わら一味はアラバスタ王国で王女ビビを助けるのですが、ゾロがチョッパーに次のような主旨を言っています。
 「自分の出来ることを死ぬ気でやって、オレはヤッタゾ!次はテメーの番だ!
 仲間と言っても一匹狼で良いではないか、何で仲間で居つゞけるか!
 助けあって、かばいあっておればそれで良いのか!」
 利休達の風狂・風雅は一人一人が命をかけた追求だったのだと私は思います。

信天翁喫茶ワールド
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