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信天翁喫茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

臨床喫茶学:42

健康寿命&平和寿命を延ばすスキ茶寄合-11-

和食文化と喫茶・茶の湯―4

 およそ2万5千年前頃では日本海は津軽海峡だけが外洋へ開いており、親潮寒流が流れ込んでいました。
 日本列島の大陸からの分離は、対馬暖流の日本海域への流入が大きな要因となりました。
 温暖化が進んだ為に海水面が上がり、暖流が対馬海峡から日本海へ流れ込んだのです。
 表日本と裏日本を形成して、今日につながる日本列島の基本が出来上がったのです。
 温暖化によって日本列島の環境は亜寒帯針葉樹から落葉広葉樹へと変わり草原から森林への環境変化によって動植物も変化しました。
 石斧や石槍などの石器に加えて煮沸が出来るようになる土器を作るようになったのです。
 日本列島の土器は縄文時代に先行して神子紫文化と言われる石斧や石槍などの石器を中心とした時代に無文土器や刺突文様土器が始まったと言われます。
 大陸から渡来した文化だと考えられていますが、日本海が成立して大陸から切り離されても大陸との交流は続き日本列島の環境に適した動植物や技術が発展し始めました。
 そして、縄文土器が工夫され、その後1万年以上に及んで続いたのです。
 縄文文化初頭ではその遺跡は河川を望む段丘上などに多く、人々は内陸部の河川で漁労に依存した定住生活を始めたと言われます。
 内陸部の河川ではサケが母川へ夏から秋にかけて遡上して埋め尽くすようになると、そのサケを集中的に捕獲したのです。
 そのサケは加工処理を行って保存出来るように工夫まで始めていたのです。
 イノシシ、鹿やウサギなどの狩猟も行っていましたがサケ捕獲のように安定的な食材として確保するには不安がありました。
 また、縄文草創期や前期ではクリ、クルミなどのアク抜きを必要としない堅果類を秋期には採集して食べたり、保存したのです。
 縄文中期になるとトチ、ナラ類、カシ類などのアクを抜いて食べる方法を工夫して保存する程になりました。
 つまり、サケなどの漁労やクリやトチなどの堅果類をアク抜きなどを行って食べるだけでなく保存する貯蔵技術まで発見したのです。
 定地での漁労や堅果類の採集によって安定した食べ物確保が可能となり定住生活を送ることが出来るようになったのです。
 縄文土器を用いての煮炊きや水さらしアク抜きが可能となって、不安定な狩猟動物依存に加えたことが食材の確保に大きな役割を果たしました。

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