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信天翁喫茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

臨床喫茶学:46

和食文化と喫茶・茶の湯―8

 今日の和食の基層は日本列島で定住生活を開始した縄文時代に始まっています。
 焼く、煮る、蒸すから始まり、鉄器による切る、炒るは遅かったと思われます。
 およそ15,000年前からで、氷河期の旧石器時代から温暖化の新石器時代に始まったのが縄文文化なのです。
 旧石器時代では、人類は遊動生活を送っていましたが、縄文時代は一か所に定住生活を始めたのです。
 他の地域とは異なって、日本列島では農耕が開始される前から定住生活を始めました。
 低湿地帯の集落遺跡の近隣にはクリ林やウルシ林があり植物利用を行っていた遺跡が残っています。
 豆類、エゴマ、ゴボウ、ヒエなども発見されて原始的な畑が開始されたと言われています。
 実や根茎を食していたのです。
 アサやヒョウタンも見つかっています。
 アサは繊維を利用して衣類や容器としたり、ヒョウタンは今日の水筒のように携帯していたのだと思います。
 草木の若芽、実は食用としてのみならず薬用としても開発を行っていたと言えます。
 森林を焼くと最初に芽を出すのが茶木で、今日でいう里山のような地帯で生命力の強い植物であるために再生力を重んじた縄文時代では注目されたに相違ありません。
 昭和時代には高知、三重、和歌山、静岡などに残っていた茶葉のついた枝を火にあぶって焼くだけの飲茶は、縄文時代に始まっていたのだと思います。
 出雲地方のボテボテ茶は茶木を切って日陰に干すだけの番茶を用いていました。
 愛知県足助ではヤマ茶の古株の枝を伐って葉がついている部分を煮え湯に入れて茹で、日干しする番茶を飲んでいます。
 その他に煮たり、蒸したりする番茶が四国や北陸など各地に残っています。
 漬けこんで醗酵させる茶も、若狭、阿波、石鎚、土佐などにあったのです。
 茶粥、芋茶粥、豆茶粥などの季節に応じたいろいろな食材で混ぜ合わせて作るような「料理」は、茶とヒエ、アワなどとの雑穀茶粥として縄文時代に始まる食生活の基層であったと言えます。
 茶が アツモノ としての始まりを示すものだと私は思っています。 
 茶を薬用的に煮出した汁、鍋料理やヒョウタンに入れた水分としての飲茶です。
 各地に女性を中心とした振茶と言われる庶民が各家庭で集まって食べながらの飲茶が盛んでしたが、女性社会と言える縄文時代の生活スタイルを想像させます。
 縄文時代以来、ヒエ、アワ、ソバなどの雑穀は茶と関係が深かったのだと思います。

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