愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

シリーズ 骨董をもう少し深く楽しみましょう

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

気候変動と文明・文化の交代 縄文時代から弥生時代へ

長い歴史を見てみると、文明、時代の交代時に大きな変化が見られることがあります。また古くは太古の恐竜時代がその長い歴史からすれば、ほんの一瞬にして終焉したことは近年の科学調査の大きな成果とされています。

私が古美術、骨董を学んでいて、一番不思議に思ったことは、縄文時代の急速な衰退とまったく違う文化形態を持つ「弥生時代」の文化が同じ国になぜ成立し、交代したのかということでした。常に歴史は何らかの「文化の形や伝統」を継承しますが、縄文時代と弥生時代は両者ともまったく違った文化なのです。自然神を中心とした原始共産的生活と蛇文化としての力強い造形の縄文文化。片や女王卑弥呼と言われる呪術・占い(神からの神託)の出現とスッキリ造形、合理的な無駄のない造形と支配者が君臨するピラミッド型の社会構成の弥生時代。縄文時代の自然採集生活と自分たちで食料を栽培する弥生時代の稲作文化の成立も大きな違いです。
このように、侵略のない日本列島に異文化とも言える両文化が続いたことは驚異的なことと言えるのです。

この疑問に終止符を打ってくれたのが、環境考古学という新しい学問でした。地層とその年代を計測することによって環境の変化を知る学問でした。いま一番信頼されている年代測定法は放射性炭素C14測定法です。今から数年前に弥生時代がそれまでより500年その始まりが早くなると修正されました。すなはち縄文時代が終焉して弥生時代が始まるのが、紀元前800年となったのです。その根拠は有名な静岡県の登呂遺跡出土の弥生土器に付着していた炭素を先の測定法で計測した結果といわれます。ただ登呂遺跡が弥生最古の遺跡かどうかの確証はないと思います。もっと他に古い遺品が眠っている可能性もあるでしょう。さて大きな気候の変動が紀元前1200年頃にあったとされますが、ここでいう大きな気候変動とは隕石落下説と大火山噴火です。十数キロクラスの巨大隕石が地球に落下すると、その衝突時に発生する高熱波で多くの動物が滅び、その際に巻き上がる粉塵は高く吹き上がります。巨大火山も同じです。8000メートルから10000メートル上空を流れるジェットストリームに攪拌され、大気に同化します。するとそれまで100パーセント太陽光線を透過していたジェットストリームが攪拌された粉塵で数パーセント太陽光線の透過を邪魔すると、急速に地球上の温度は寒冷化に向かうと考えられます。当然食料も欠乏し、恐竜も最初の高温の衝撃波を逃れても、次に襲う寒冷化によって絶滅したと考えられます。

ちなみに、太平洋の真ん中に10数キロメートルの隕石が落ちたと仮定すると、6000メートルの波が日本を襲うといわれます。もちろん日本だけでなく、環太平洋の国々も襲う訳ですから、大半の国は飲み込まれてしまうでしょう。

旧約聖書のモーゼによる出エジプト記によると、ラムセス2世の時代(在位BC1290頃~1224頃)に干ばつを含めた気候の変動があったことを伺わせる記述があります。

すなはちナイル川の水が赤く染まったとか、暑い国であるのに雹(ひょう)が降ったなどの記述があります。

エジプト社会を支えた農業は自然のナイル川の定期的な氾濫によって灌漑が行われていました。そのナイル川の氾濫がなくなればエジプト農業経済は混乱、衰退します。それが後にエジプト最後の女王として有名な絶世の美女クレオパトラ7世がシーザーに身を売ることでエジプトを彼に助けてもらおうとした理由です。

その気候変動がエジプトにあったということは、全世界的にもあったことであり、それが縄文社会を壊滅させ、弥生文化を成立させたと考えられます。寒冷化の中で、自分たちで作る稲作文化、すなはち弥生時代に変わったのです。自然依存の採集の時代は終焉し、自らの力で生きて行く時代が来たのです。ですから私は縄文時代の終焉と弥生時代の始まりは紀元前800年ではなく、もっと古く紀元前1100年から1200年と考えてます。二つの文化が全く異なるのは、生活形態、社会組織が180度転換したからに他なりません。


縄文土器とまったく違った、スッキリとした合理的な造形の弥生土器
シリーズ 骨董をもう少し深く楽しみましょう
このページの一番上へ