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シリーズ 骨董をもう少し深く楽しみましょう

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

イギリス・アンティークジュエリーの魅力

イギリスのアンティークについて書いてきましたが、それはイギリスのアンティーク・マーケットがとても充実しており、短期的に集中してさまざまな骨董市を回れる楽しみがあるからです。ベルギーやドイツにもアンティーク・マーケットはありますが、一週間毎日続く訳ではありません。イギリスでは1週間で大半の骨董市を回れるので効率がいいのです。それは最初の回でお書きした通りです。
それにたくさんの品物に巡り会えることも素晴らしいことです。
今回はイギリスのアンティーク・ジュエリーの魅力について書いてみます。
イギリスのアンティークについて書くときにどうしても頭に浮かぶのが古代エジプトのツタンカーメン王の遺品に見られるジュエリー類です。
わたしは今年の2月にエジプトに行ってきました。エジプトにつきましては次回から少し触れますが、わたしが今一番興味を持っている国です。もちろん現代ではなく、古代エジプト社会についてです。
エジプトの「カイロ・エジプト博物館」には実にすばらしいツタンカーメン王のジュエリーがあります。

ツタンカーメン王のジュエリーの全貌については日本にはまだ紹介されていないと思いますが、これは本当にこれまで人類が築き上げてきた世界最高のジュエリーです。こうしたジュエリーの歴史を見て行くとこれらのデザインや技術がヨーロッパのジュエリーの歴史に大きな影響を与え続け、その技術が生き続けていることを実感させます。残念ながらエジプトは今や過去の遺産で財政を切り盛りしているのが現状ですから、「カイロ・エジプト博物館」の著作権の関係からこれらの素晴らしいジュエリーの映像をお見せできないのがとても残念ですが、今後もし機会がありましたら是非一度エジプトのこの博物館を見学されるとよろしいと思います。
人類の最高の美術を見ることができます。それは次回以降に譲るとしまして、本日はエジプトの美術の影響を受けたイギリスのジュエリーの楽しみ方をお話しして行きたいと思います。

●イギリスジュエリーの原点はジョージアン様式のジュエリーでしょう。 正確に言うと1714年のジョージ1世即位から1837年のヴイクトリア女王即位までの時代を言います。
この時代は金が極めて少なかったこともあり、金を薄く叩いたり、線状に細く加工して独特に繊細な金文化をつくり上げます。
この頃のジュエリーは王侯貴族達だけのものであり、従って権威のシンボルでもあったと考えられます。 価格も金が少なく高価でありましたから現在の状況とは比較にならない位に高額であったでしょう。

マルコ・ポーロにも日本の金の話がありますが、当時13世紀から14世紀の日本は世界最大の産金国だったと考えられます。
黄金の国、ジパングです。大航海時代にはそうした風評から日本の金を目指して多くの外国人たちがやってきます。
ですからジュエリーの地金は銀が多く、銀は酸化して黒ずんできますので金を薄くした箔が貼られて服を汚すことを防いだ作品が見られます。
これらは古い作品ということになります。プラチナはまだこの頃は使用されていません。

●次なるジュエリーの大きな発展期は1837年からのヴィクトリア女王の時代です。
18歳で即位してから63年在位します。彼女の統治時代はイギリス史上最大の繁栄を見せ、日の沈みことなき大英帝国といわれた程
世界に植民地を持ちました。そこからの収入が国家を潤したのです。
ですから豊かな貴族たちは華美に走り、女性たちも豪華な宝飾に身を包んだのです。
女王も若く美しかったので宝飾が素晴らしく似合ったようです。そこに産業革命が始まり、近代化、重工業化が始まり、経済的にも発展し、中産階級の出現を促しまたことも大きく経済に寄与しました。
そうしたことからさらにジュエリー市場に中産階級の奥方たちが参入してきたのです。

●次なる発展は1848年にアメリカのカリフォルニアで金鉱山が発見され、ゴールドラッシュがあり、1851年にはオーストラリアでも金鉱山が発見され、こうした相次ぐ金の大量発見の結果金の価格が大きく落ちました。
これらもジュエリーの大衆化に寄与したと言えるでしょう。

1849年にはオーストラリアでさらにオパール鉱山が発見され、魅力に富んだ作品が市場に流入します。当時ワインレッドのガーネットという宝石が流行して、沢山の作品が制作されます。


写真1

写真2

(写真1はガーネットの細密な細工のブローチ)この頃のイギリスには世界各国からいろいろなデザインが入り、ジュエリーの多様化が見られます。
イタリアからはカメオ、モザイク(写真2)が流行の兆しを見せています。
また1851年には史上初の万国博覧会がロンドンで開催され世界中から工芸品が集まり新しい美術や工芸が発展します。
ビクトリア&アルバート美術館はこの万国博覧会の収益をもとに設立されました。
日本からは、その後、後期印象派の画家たち、すなはちゴッホ、セザンヌ、ルノワール、ロートレック、ゴーギャンなどに大きな影響を与えた浮世絵やガレなどのアール・ヌボーの発展に大きく寄与した真葛香山などの作品が出品されました。
まさにヨ-ロッパ芸術には日本の影響が欠かせない状況でした。さらに1840年頃に金メッキが発明されると対抗して9金、12金、15金、18金制度ができてきます。

●この後、ビクトリア女王はアルバート公を失い、政治の世界から身を引き、息子のエドワードが表舞台にたち、宝飾ではエドワーディアン様式の始まりになります。
この様式は当時盛んになったプラチナが多用され、センスのいい作品がたくさん制作されます。これ以上センスのいいジュエリーは無いと思わせるすばらしいい作品ができますが、世界大恐慌の始まり、世界大戦などによりこれらジュエリーの発展はここに終焉し、次なるアール・デコの世界に移ります。

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