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シリーズ 骨董をもう少し深く楽しみましょう

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

日本の宗教とエジプト美術

 私はかねてから日本の美術を研究する中で、オリエント、特にエジプトの宗教と日本の宗教の類似性に気がつき、その研究を進めています。これまで日本の宗教の源流は古来からの神社神道ならびに仏教であり、その原点は神世の時代の日本ならびにインドであると常識的に考えられてきました。人類の発祥がアフリカであるということが確定した今日では、人間そのものの移動とシルクロードなどのように文化そのものが西から伝来することが多い以上、源流であるアフリカから、豊かな土地を求め、エジプト、メソポタミア、インド、黄河と4大文明の流れに沿って東に拡大したと考えることは否定できない事実であると思います。インド仏教の源流であるバラモン教もヨーロッパ系アーリア民族によって形成された宗教であり、お釈迦様の仏教もバラモン教から派生していることを考えればそれも納得がいきます。

 そうした観点から、今回は数ある類似点の中から日本人になじみの深い3点に絞り、お話してみようと思います。

 まず第1の類似点ですが、仏教のシンボルと考えられている蓮についてです。お釈迦様や、阿弥陀様など仏像の多くがお座りになっている「蓮華座(れんげざ)」は、まさに極楽浄土に咲く美しい蓮の花の台座を意味しています。蓮は神秘な花とされています。1番目の神秘性は、清楚で気品に満ちたその美しさです。まさにその美しさは極楽にふさわしい花といえます。

 その2は朝に咲いて、夕方にしぼむという蓮の花の特性です。日の出が誕生で、日没が人間の死とオーバーラップされて考えられた当時、朝に咲いて、夕方しぼみ、また翌日咲くという蓮の花が生と死という宗教的な世界と再生復活の思想にふさわしい花と考えられたからなのでしょう。

 その3は蓮の花の神秘性です。蓮のつぼみは池の底から水面を目指して伸びて来ますが、深くても浅くても、きちんと計ったように伸びて来て、美しい花を咲かせます。自然の不思議であり妙味です。また仏像の中の観音菩薩、勢至菩薩は手に蓮の花を持っています。その姿と同じなのがエジプトの墓に描かれている女性のレリーフです。そこには死者の供養をする多くの女性達が描かれていますが、彼女達は手に蓮の花を持っています。蓮は唐草文様の源流といわれますが、仏教のシンボルの蓮が、お釈迦様より古いエジプト第4王朝から5王朝(紀元前2,600年から2,300年頃)の墳墓の中に登場します。エジプトでは最大の国力を誇ったラムセス2世のお父さんのセテイ1世(紀元前1,290年頃)の墓のレリーフにははっきり蓮を捧げる女性達が多数描かれています。

 また香も神殿では日常的に焚かれていたみたいで、正倉院に伝来する柄香炉と同じスタイルの柄香炉(写真1)が、アビドスで紀元前1,304年から1,290年に統治したセトス1世の神殿に描かれています。日本で死者の葬儀に使う香もエジプトではやはり神々に捧げる香として存在していました。


写真1.柄香炉(本作は鎌倉時代作)

 また長野県諏訪市に、諏訪大社がありますが、私はかねがね諏訪の御柱(おんばしら)はどのような由来を持つものか非常に興味を持っているのですが、未だにその明快な答えを得られていません。昨年2月にエジプトを旅行しましたが、ルクソール神殿を訪ねた時に、ああ諏訪の御柱はそこにあったオベリスクだと思いました。(写真2)御柱は先端が尖ってますが、オベリスクも三角状に尖っていて、御柱は鳥居の前に、オベリスクは神殿の門の入り口前に2本立てられています。ともに入り口に立てられている点が似ています。仮に神社の鳥居は神殿の門と同じと仮定すれば、これはそっくりです。おまけにエジプトのルクソール神殿の場合は隣にライオンが2頭座ってます。これはライオン(獅子)にルーツを持つ狛犬(こまいぬ)と同じです。そう考えれば諏訪の御柱はエジプトのオベリスクそのものであると言えるのではないでしょうか。オベリスクはもともと王であるファラオの顕彰石碑(偉大な事績を記録した石碑)であり、それが日本に伝わり、御柱なるものに姿を変えたのだと思います。

 ですから神社の鳥居の柱の横前にはオベリスクを祖型とする柱がもともと存在していた可能性があります。日本でも大和の三輪山(みわやま)の巨石信仰や神道における榊(さかき)などの神聖な石や木に対する信仰もあることから、石のオベリスクが木の御柱に替わったと考えることもできるのではないでしょうか。


写真2.石切場での未完のオベリスク(右端) 

 このようにエジプトには日本の宗教と関連する遺物がたくさん存在します。文化というものは一国のものではなく、姿を変え、内容も少しずつ変えながら民族性を加味しながら、我々の時代まで伝えられてきていると考えれば、まことに興味は尽きません。

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