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インターネット公開文化講座

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知って得するお茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

侘・寂の茶(3)

村田珠光が侘茶の創始者と言われるのは、唐物の茶道具が重んじられていた茶の湯の世界に、和物を評価して導入、用いたことに始まる。喫茶の和風化と言えるが、茶の湯以外にも詩歌、禅、能楽等の和風化や和文化が起こった時代だ。当時の時代背景と歴史を知っておこう。

 和漢朗詠集は平安時代(1013年)に成立した「和魂漢才」の王朝貴族文化として和漢文化の融合を示す象徴だ。その題が示す通り、和漢の詩歌である。和漢朗詠集切れと言われ、今日でも茶の湯で春夏秋冬の掛け物として珍重される物だ。

 鎌倉末期から室町初期時代の有名な禅僧、夢窓疎石は天竜寺や西芳寺で知られるように、多くの寺や庭園を残している。禅宗文化の和風化を進めた智僧だ。既に取り上げたように仮名混じり文で書かれた「夢中問答集」で当時の喫茶の風習を批判している(本シリーズで取り上げた)。「禅院茶礼」としての禅茶の精神を問い直し、飲茶の環境としての庭園建築も工夫した。

 茶の湯の和風化は会所を建てた室町六代将軍足利義教時代から始まった。能楽では世阿弥の女婿金春禅竹が一休宗純や一条兼良と交わり、芸道に禅宗の研修を導入した。続く、東山文化時代の金春太夫である金春禅鳳は連歌師らと交わり歌道に通じた。茶の湯も好んだ。その著「禅鳳雑談」において、唐物の茶道具に対して、伊勢物や備前物等の和物の良さを「結構見事」「面白く巧み」で「勝っている」と評価している。また、珠光の言葉として「雲間のなきはいやにて候」と記している。何時でも見られるような月を必ずしもよしとせず、雲に隠れることがあるのがよいとの美意識だ。侘の茶の湯として重要な精神を示す。既に取り上げた岡倉天心が侘の精神として、その著「茶の本」に記した「不完全性の美」と通ずるところだ。

 以上より、中国文化導入により王朝文化時代からは各種の文化領域で和風化が進んだのだ。珠光の侘び茶の始まりもそうした「和漢の境の紛らかし」から消化吸収、融合が起こったことを示す。

 禅宗の和風化を精神的背景とする。そして、詩歌にあって、和歌、連歌が起こり、能楽が発展した時代に、喫茶も日常的な生活スタイルの変化の中で総合生活文化として我が国独自の進展を始めたと判る。

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