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知って得するお茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

お茶の飲み方(7)

抹茶法は栄西によって日本に伝えられたことはよく知られた事実(1214年)。鎌倉幕府の三代将軍・源実朝が二日酔いに悩んでいた折に茶一盞を献したと「吾妻鏡」に記述されている。その折に、同時に、栄西による著「喫茶養生記」も進呈されたとある。

 日本人で抹茶を最初に喫したと思われる歴史上の人物は、平安時代末期に北宋に渡って、再び、帰国することがなかった留学僧・成尋と言われる。彼が記した中国での日記「参天台五台山記」に宋での喫茶の記事が沢山あるのだ。日記は弟子達が持ち帰ったものだが、同時に、栄西より前に、我が国に抹茶法を伝えていたかも知れない。

 栄西は臨済禅とともに抹茶法を伝えたというのが一般的。また、日本最初の禅院と茶園を平戸に開いたのだ。「喫茶養生記」には「茶は養生の仙薬で長寿に役立つ」旨の記述がある。
茶の点て方は、抹茶を2,3杯、匙ですくって熱湯に注いで飲んでいたと思われる。栄西は京都・建仁寺の開祖でも知られる。
建仁寺では今日に伝わる「四つ頭の茶礼」が行われている。椅子に座して抹茶を喫していた(立礼)。

 瀬戸で茶器の製造を始めた加藤四郎左衛門景正(藤四郎)が曹洞宗、永平寺の開祖・道元と帰国したのは1227年。道元は僧の生活規範となる「永平清規」に「茶礼」について記している。  今日に伝わる西大寺大茶盛を始めたのは叡尊と言われている(1239年)。叡尊は鎌倉幕府の執権・北条実時の招きで鎌倉に旅するが、途中で貴賤男女に授戒しながら「施茶」と呼ぶ茶の施しを行ったと言う。また、「儲茶」と言って、旅先で休憩を取りながら自分自身の栄養補給と健康保持の目的で、喫茶を行ったと考えられている。

 大徳寺の開山となる宗峰妙超の師である南浦紹明は、中国からの帰国時に今日の茶の湯の様式の元ともなる台子と茶道具一式を持ち帰ったと伝えられる。
それが天龍寺、相国寺の開山である夢窓疎石に伝わり、台子を用いて茶を点てる茶式として伝わっていくことになったと言う。
南北朝時代の夢窓疎石については、既にこのシリーズ「お茶と夢窓疎石」(1999年4月号)で紹介した。「夢中問答集」の著者である。

 以上より禅と茶とは密接な関係を持って始まっていることが判る。喫茶は薬効に始まり、茶礼によって精神性を加えた喫茶様式の発展へと繋がっていく。

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