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インターネット公開文化講座

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知って得するお茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

お茶の飲み方(2)

お茶の飲み方を考えるにあたり、我が国では茶の普及に如何なる経過があったか概観する。鎌倉時代では、まず、医薬品的効能が期待された。
不老長寿、眠気覚まし、集中力増加、沈痛解熱、利尿強心作用が注目点だった。

続いて、仏門の修行に取り入れられた。眠気覚ましと集中力増加作用に役立ったのだ。禅語「喫茶去」「且坐喫茶」で知られるように雲水が禅問を行う上での飲料となった。
門前で飲物としてサービスされたり、売られたりして、次第に一般社会に飲料として広まっていった。

また、病人、貧しい人達に振る舞われ、慈善的にも用いられた。庶民の間では集会等での飲料となり、社会的一面も持つようになった。
以上から、健康目的に始まり、修行、日常的な飲物となった経過が判る。足利幕府時代になると、文化的な面を強く持つようになった。 金閣寺を建立した将軍義満は中国の明との貿易を頻繁にして、美術品の収集を行った。銀閣寺、東山文化を生み出した将軍義政の役割が大きい。

今日の日本文化の中心、能、茶の湯文化は此の時代から発した文化と言って良い。茶が遊興性を持って楽しまれたのも此の時代だ。 茶の産地をあてる賭事まで行われた。

一方で、書院建築の発展に伴って客人をもてなすための様式が生まれた。書院での茶に次いで日常的な生活の場である囲炉裏での茶を楽しむことも始まった。
絵画、茶碗等が美術品としてランク分けされるようになり、茶が次第に権力者、富者が政治権力との関係に利用するようになった。 信長は新しい権力者としての地位を築く上で明らかなる意志を持って、茶とその美術品の価値を利用した。続く秀吉によって、その傾向は促進を見た。

一方で、文化的側面も自立した方向を持って発展を見た。足利義政とその周辺による今日で言う書院様式の茶の湯。囲炉裏に始まる生活空間での茶の湯は村田珠光、武野紹鴎、千利休と続いた。
侘び、寂の茶だ。精神性や美意識が大きな意見を持つようになった。

以上の時代を経て、今日再び薬効的健康飲料、人間のコミュニケーション文化との両面を持って注目を集めている。つまり、どちらに重きを置くかによって茶の飲み方が異なる面を待つことが判る。

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