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信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

「一期一会」は井伊直弼の造語

幕末の大老井伊直弼は安政の大獄(安政5年、1858年)を行った。テレビ番組的に言えば俗悪人だ。しかし、彼の日米開国の方向性は歴史的英断である。私 は明治政府とその周辺が自分達を正当化するために彼を悪人に仕立てる必要があったから、今日に続く悪人物語となっていると思っている。ロシアに於けるゴル バチョフが行ったペレストロイカに似た解釈状況だ。

直弼は宗観の茶名を持つ茶人。安政5年の大老になる直前の安政3年~4年にかけて名著「茶湯一会集」を著述している。有名な「一期一会」は「茶湯一会集」 の序に出てくる言葉。完成本の序として大老となる直前に書いていることが判っている。つまり、「一期一会」は「独座観念」「余情残心」と共に直弼が到達し た宇宙的時空を超えた境地なのだ。

序の抜粋:「此書は、茶湯一会之始終、主客の心得を委敷あらはす也、故に題号を一会集といふ、猶、一会ニ深き主意あり、抑、茶湯の交会は、一期一会といひ て、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、聊も麁末 のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を弁へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、是を一期一会とい ふ・・・」。常に一生一度の会の心構を説く。

直弼は予想外の藩主となり1850年に35才で出るまでを有名な「埋木舎(うもれぎのや)」で過ごした。その間に茶の湯逸話集「閑夜茶話(かんやちゃ わ)」、「入門記」なども著している。安政5年から万延元年(1860年)の桜田門外の変でテロに没するまでは大老として国難に当たった。

起宇宙的無覚の覚にあった大老は今日の俗的解釈レベルを超えた大政治家であった。「茶湯一会集」の復刻が成されたのは大正三年であり、逆に俗界の愚かさを示す。藩主にならねば偉大な哲学者になっていたのに。

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