「イタリア世界遺産の旅」と「生きたイタリア語のフレーズ」
緑豊かな標高 540m の大地に、ぽつんと白いカステル・デル・モンテ城が青空に聳え立っています。ユーロの1セントコインのデザインにもこの城が描かれています。
全体が8角形をしており、8つの塔があり、そして8角形の中庭がある。8という数字は、キリスト教の洗礼堂やイスラム教のモスクなどに、神と人間がつながれる場などに8角形がよく用いられます。またキリストが復活したのも8日目であり、ノアの箱船にのったノアの家族も8人でした。
城の内部は、2階に分かれておりそれぞれ8部屋ずつあります。当時の科学の粋を集めて作られたと考えられます。しかし現在見るカステル・デル・モンテは、外装も内装も、装飾はすべて持ち去られてしまっており、剥き出しの石壁を見ながら、当時の城を想像するしかありません。しかし今は1階部分が博物館となっており、展示品などから当時の生活を偲ぶことができます。
この城は、1240 年頃フェデリーコ2世(フリードリヒ2世)により建てられました。彼はここプーリア州に 200 を超える城を建設しました。カステル・デル・モンテは最後に建設されたとされています。しかし他の城とは異なり、構造上、要塞としての防衛機能は持っていません。たとえば堀割、砲座、狭間、厩舎、兵舎などの軍備施設がまったくありません。また城内の螺旋階段は、すべて上に向かって左回りに造られているので、この構造では、侵入者に対して、剣を右手に持って防戦することは大変難しいと考えられます。
では何の為に作られたのでしょうか?どうしてここに建てられたのでしょうか?謎がさらに謎を深めていると言えるでしょう!
フェデリーコ2世は鷹狩りを好み、鷹の飼育に関する詳細な著作を残しているので、鷹狩りのために建てられたのではないかと想像出来ます。しかし当時の記録も失われている今、カステル・デル・モンテの本当の目的は謎に包まれたままです。
さて、フェデリーコ2世について紹介しましょう。
シチリア王のルッジェーロ2世の娘であるコンスタンツェが、ホーエンシュタウフェン家に嫁ぎ、皇帝ハインリッヒとの間に生まれたのがフェデリーコ(1194-1250)です。生まれはイタリア中部(マルケ州)の町イエージ。彼は3歳の時、シチリア王になり、後1215年に神聖ローマ皇帝となる。
キリスト教文化とイスラム文化が融合していたパレルモで生まれ育った彼は、異文化に対して大変寛容であったことで知られています。また自然科学その他の才能にも恵まれ、哲学者ニーチェは彼のことをレオナルド・ダ・ヴィンチに喩えました。血に塗られた十字軍の歴史の中で、1229 年、第6回十字軍を起こし、無血で聖地エルサレム奪回を成し遂げた名君でもあります。しかしこの交渉による和睦という聖地奪回にはローマ教皇からは快く受け入れられず冷たく扱われていたようです。この皇帝と教皇の対立は、イタリア国内においてはギッベリーニ派とグエルフィ派の対立をさらに激化させることになりました。詩人ダンテが"世界の驚異"と称讃した天才皇帝であっても、この混乱を収拾することが出来ないまま死を迎えることになりました。
彼の死後、フランスのアンジュ家のシャルルが、教皇の要請を受けて南イタリアに進入してきます。残されたフェデリーコの王子たちはこれに立ち向かうのですが、いずれも戦いに敗れてホーエンシュタウフェン家は滅びることになります。以後シチリアは、フランスやスペインといった大国の領土の一部となり、イスラム教徒の姿は消え、異文化共存の伝統も失われることになりました。すなわら、フェデリーコ2世の死によって、シチリア王国の栄華も終焉することになります。
彼の死後、ヨーロッパは時代の大きな転換期を迎えることになります。北イタリアではルネッサンスという新しい時代を迎え、そして、フランスやスペインでは、王権による中央集権化が進み、強力な近代国家が出現することになります。歴史家ブルクハルトは、フェデリーコ2世を「王座の上の最初の近代人」と呼んでいるように、彼が望んでいた理想的国家像を実現するには余りにも早く生まれすぎた天才であったと言えるでしょう。
■Castel del Monteへのアクセス
Bariから約65Km、車で約1時間。またはバーリ北鉄道 (Ferrovia del Nord Barese)の Andria の駅からタクシー又は市バス(所要時間は約20分)で行くことが出来ます。ただし市バスは観光シーズンのみの運行で本数も大変少ないので注意の必要があります。
http://www.proloco.andria.ba.it/docs/LINEA_6_CDM.pdf
■入場料は3ユーロ (18歳から25歳までは1.5ユーロ、18歳未満と65歳以上は無料)
3月~9月末:10.15-19.45、 10月~2月末:9.15-18.45
(12月25日と1月1日はお休み)
http://www.casteldelmonte.beniculturali.it
連載「旅に役立つイタリア語」では、出発から出国まで、旅行のいろいろな場面を設定し必要な会話文を中心に学習してきました。このシリーズでは、実際の日常生活の場面でよく使うフレーズを中心に学習し、イタリア語の表現力を養ってゆきたいと思っています。
『乾杯!』(Brindisi! Salute! Cin Cin!)
グルメの国イタリアでは、食卓やパーティなどでワインやビールでよく乾杯します。ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」の第1幕で Libiamo, Libiamo ne' lieti calici ... (楽しい盃で酒を飲みほそう!)と始まる「乾杯の歌(Brindisi)」は余りにも有名ですね! オペラファンでなくてもそのメロディは直ぐに思い浮かぶのではないでしょうか!
乾杯にあたる brindisi は、動詞 brindare (乾杯する、祝杯をあげる)からきた言葉です。
Brindisi はプーリア州の港町です。ローマ時代のアッピア街道の終着地で、ここに辿り着いたローマ皇帝たちは、 Brindisi! と叫び乾杯したのではないでしょうか!
brindisi は、パーティなどで多くの人を前に言うことが多いようです。日常的によく使われるのが Cin Cin! または Salute! です。(「旅に役立つイタリア語」第12回のステップ2の答えを参照)
その他に Evviva! もよく使われます。
「健康」を意味する salute は、くしゃみをした人に対して、周りの人が「お大事に!」と言います。 声をかけられた人は Grazie! と返事をしてください。
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アッシジ:聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群(2000年登録)(Assisi, la Basilica di San Francesco e altri siti Francescani) |