文化講座
自利利他円満の鐘声偈・・その2
前回、六祖慧能の説く「頓悟禅」にあって、その「大悟」に至るまでの法を示す「十牛図」について述べ、その内の「第十図 入鄽垂手」を取り上げました。
私の気持ちが伝わっていたのか、新井満著の自由訳シリーズで、「自由訳 十牛図」(四季社)が出版されましたので、早々に読みました。
自由訳には、 1 )原作者のコンセプトを絶対厳守、 2 )できるかぎり判りやすい日本語に置きかえると二つの条件を作者はつけています。
それ故に、大変判りやすく、心地よい詩文となっています。
私は、取り分け「第十図 入鄽垂手」と「第六図 騎牛帰家」が好きです。
前回、「第十図 入鄽垂手」の漢文、漢詩で書かれた「序」と「頌」を紹介しました。
「輪廻」を解いた新井満の自由訳の一部を紹介したいと思います。
第十図 入鄽垂手 俗に入り教化する
序
なぜ私は、この世に生まれてきたのか?
役割があったからだ
私でなければはたせない
私だけの役割をはたすために
私は、この世に生まれてきた
役割は、人によって異なる
それはブッダに尋ねてもわからない
自分自身で見つけ出さねばならない
さあ今日も
私の役割をはたしにゆこう
<以後の部分・省略>
頌
飾り立てるものは、何もいらない
衣服も靴も名前も名誉も
うらおもてのない そのままの私が
土埃の舞う巷に入ってゆく
ただ生きているだけで、私は嬉しい
<以後の部分・省略>
自分が生まれた「役割の発見と実行」の具体化への道として説いています。
素晴らしい自由訳となっているのです。
「千の風になって」以上に、広く読まれるようになることを願っています。