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茶の湯文化は日本のグローカル文化

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

オタピー茶の湯は日常茶飯の生活文化−1

最近、私は山林に自然の果樹林をと荒地で"百姓"に勤しんでいます。
農業的に果樹を育て、その果物を収穫しようとするのではなく、果樹中心の山林にしたいと思うのです。
果樹の成長を楽しみながら、時に、果実を自然のまゝに、手にとって食べたいのです。
また、自然の摂理と自己の煩悩との相克も実感したい思いにあります。
私には、六祖慧能や一休宗純の世界が憧憬の的になっているからです。

私も、「外から見える形に拘り、囚われる」「煩悩妄想」の世界から、「自利利他円満」な「自己即仏」の境地を体現したいと思っているからです。
慧能は、「修行するなら寺にいる必要はない。寺で座禅をするだけが修行ではない。心さえ清ければ、生活そのものが修行」と説いています。
「書を書いたり、家や人里、市中生活、農業も修行になる」と日常生活での特別の思惟に拘ることはないのです。
仏僧が畑仕事は禁じられていた時代の提言なのです。
「鐘声偈」は、何時でも、何処でも、自分の心に聞けば「見性成仏」なのです。

慧能の諭す、人が「大悟」に至るまでを教える「十牛図」は有名で、皆さんご存知の方も多いと思います。
その第十図は「入鄽垂手」と題されて、「輪廻」を説いているんだそうです。
序:「柴門獨掩 千聖不知 埋自己之風光 負前賢之途轍 提瓢入市 策杖還家 酒肆魚行 化令成佛」
頌:「露胸跣足入鄽来 抹土塗灰笑満腮 不用神仙眞秘訣 直教枯木放花開」
「瓢を提げて市に入り、杖を築いて家に還る。酒魚をほしいままにしても、成仏に化すことが出来る」
「胸を露に裸足で、土を抹で、塵を塗り顔中を口のようにし笑って、仙人の真の秘訣を用いず、直だ枯木に花を咲かせるのだ」
「漸悟」、漸修禅に対して、「頓悟」、頓悟禅の直路の法を説いたものです。

慧能の教えは、一休宗純の「浄・禅兼帯」の生活文化として村田珠光を介して、日常茶飯の生活文化として、茶の湯文化への道が聞かれたのだと思えてならないのです。

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