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茶の湯文化は日本のグローカル文化

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

わび・さびの茶の湯文化 その13

茶の湯のわび・さびの心は武野紹鷗が和歌・連歌の心と共通する真理、極意との認識を取り込んではっきりしました。
わび・さび茶の開祖村田珠光が「冷え枯れる」心の大切さを説きましたが、連歌師・心敬による「枯カジケテ寒カレ」の境地なのです。
紹鷗は30才頃まで連歌師として三条西実隆(当時の和歌・連歌の大家)に学んでおり、歌道の樹立者、歌聖として連歌を興した藤原定家の歌論「詠歌大概」の序巻を伝授される程だったのです。
新古今和歌集にある定家の一首「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとま屋の秋の夕ぐれ」はさびの境地の心にあるとしました。
紹鷗は珠光と同様「麁相」(そそう)の心をキーとしています。
「すべての飾りを避けて、真実な誠の心」、つまり、「正直で慎み深くおごらない様」となり、わびの境地を示します。
定家の歌では「いつわりのなき世なりけり神無月誰がまことより時雨そめけん」となります。
「麁相」の心は、わび・さびの心の創意の根底なのです。
日常茶飯での生活用具の茶道具としての見立てや作意の心では、「麁相」にこそわび・さびの閑寂味ある数寄となります。
それ故に、紹鷗は今日以上の唐物尊重時代にあって、志野茶碗を認め、信楽水差、備前面桶を用いました。
また、釣瓶水指、土風炉、竹茶杓、竹蓋置など日常茶飯の生活用具を見立てたり、作意を持って工夫をして茶の湯に用いています。
加えて、身分に捕らわれない自由さを持って、茶の湯が道具に捕らわれることのないように求めました。
つまり、桑田忠親が指摘するように「道具本位の茶の湯を排斥し、茶人の高慢をたしなめ、人と親切に交わるべきこと」と今日に続く課題を提起しているとなります。
その上で、人との交わりにあって、「自分と他人とが隔意のない」心で結ばれるのです。
「麁相」の心があってこそ、山上宗二が記した「茶ノ湯ノ仕様、習イハ古キヲ専ニ用フベシ、作意ハ新シキヲ専ラトス」となります。
まさに、「レトロモダン」(Retro Modern)の必要条件と言えます。
紹鷗による定家の色紙を墨蹟に代えて掛けた心は、今日で言えば茶の湯に日本の精魂をつぎ込んだ「レトロモダン」だったのです。
「レトロモダン」は過去に雁字搦めになることなく学び、自由な創意が求められるのです。

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