愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

茶の湯文化は日本のグローカル文化

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

わび・さびの茶の湯文化−その8

わび・さびの茶の湯文化の始まりは、既に取り上げましたように、東山文化時代の足利八代将軍・義政に茶の湯を教えたと伝わる村田珠光を開祖とします。
わび・さびの茶の湯の開祖・村田珠光についての資料は少なく、多くが謎です。

前回取り上げた『心の文』での「ひえかるる」わび・さびの心は、既に連歌の世界で歌われていた美意識ですから、茶の湯への当初からの影響が強いことがわかります。
わび・さびの茶は、草庵の茶として、唐物を愛好した室町将軍を中心とした書院の茶とは異なった美意識と価値観を持つのです。
唐物一辺倒の世界から、草庵の茶では和物の備前や信楽の焼物の美と面白さを取り込んだブレークをしています。

「徒然草」で知られる鎌倉~南北朝時代の随筆家・歌人の吉田兼好(1283~1350年)は無常感の世界の美意識を持って「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」と記しています。
岡倉天心著「茶の本」の指摘する不完全性の美意識に、花、月、雲の「移ろい」の美を感じているのです。
不完全性からの移ろいによる完全性を想像し、期待する美意識を込めています。
世阿弥の女婿である金春禅竹の孫にあたる金春禅鳳〈1454~1532年〉は「禅鳳雑談」に「珠光の物語として」「月も雲間のなきは嫌にて候。これ面白く候。」と記しています。
つまり、月の雲間に見え隠れする移ろいの不完全さに美意識を感じるのです。

また、唐物の茶道具の素晴らしさを認めながら、和物、例えば、伊勢物や備前物のような唐物の完全美に比して不完全性の美、言い方によっては、粗相な焼物にも、美意識、用い方によって素晴らしさを内包することを主張しています。

村田珠光の『心の文』での「和漢の界をまぎらかす」備前物、信楽物などへの美意識と共通することが判ります。
珠光によるわび・さびの茶の湯、草庵の茶は当時の吉田兼好や心敬の連歌、世阿弥、金春禅竹、禅鳳の能のように深い精神性に裏付けられて発展したのです。

わび・さびの茶の湯の萌芽は色々なジャンルの人々との「正直でつつましい」「直心」のコミュニケーションが如何に重要で、大切かを示すものだとわかります。

茶の湯文化は日本のグローカル文化
このページの一番上へ