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「イタリア世界遺産の旅」と「生きたイタリア語のフレーズ」

石黒 秀嗣

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がある
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院
La chiesa ed il convento domenicano di Santa Maria delle Grazie e il “Cenacolo” di Leonardo Da Vinci
1980年登録


スケッチ 樋口佳代

 15世紀後半、ミラノのルネサンス様式を代表するサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の由来は、パヴィア(Pavia)からミラノに移ってきたドメニコ会がここに修道院を建設したことから始まります(1464‐1482)。当時のミラノ公国の君主ルドヴィーコ・スフォルツァは、フィレンツェやマンドヴァで開花していたルネサンス文化に魅了され、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo Da Vinci 1452-1519)とドナート・ブランマンテ(Donato Bramante 1444-1514)という二人の著名な芸術家をほぼ同時に庇護しました。レオナルドには修道院の食堂に「最後の晩餐」(Cenacolo Vinciano)を描かせ、ブラマンテにはドメニコ会修道院の改築を命じました。レオナルドがミラノに残した絵画「最後の晩餐」に対し、ブラマンテは建築に関しての設計が主で、ミラノでの代表的な作品が、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の設計でした。大きな円蓋で覆われた内陣や八角形のドームを持つ後陣、そして中庭に繋がる回廊などはブラマンテの設計によるものです。
ブラマンテにとって、ミラノ滞在は建築家としての仕事の構想を温めるための有意義な意味を持っていました。ミラノを去るとローマでより重要な作品に携わることとなります。1503年、教皇ユリウス2世に任じられてサン・ピエトロ大聖堂の建築主任となり、建築家として大事業を果たす事になります。
一方、レオナルドは、教会の左手に修道院があり、修道士たちが食事をする食堂の奥の壁に1495-1497年にかけて有名な「最後の晩餐」を描きました。使徒とともに食卓についたキリストが、使徒の一人がキリストを裏切るであろう事を伝えている劇的な瞬間が描かれています。12人の使徒は3人ずつ4つのグループに分けられ、それも左右対称に分けられています。キリストを中心に使徒たちの一人一人の微妙な心理状況がリアルに描かれています。レオナルドは、ルネサンスの時代に流行っていたフレスコ画でなく、テンペラで描いています。フレスコ画は、まず漆喰を塗り、それが乾く前に顔料を混ぜ、壁自体をその色にする技法で、長く保存することができます。しかし漆喰が乾く前に短時間で絵を仕上げなくてはならいことや、基本的には描き直しや重ね塗りが困難です。一方、テンペラ技法は写実的描写をするのに優れ、重ね塗りや描き直しが容易です。レオナルドは何度も納得のいくまで描き直すタイプの画家であったようです。
ヴァザーリが『ルネサンス画人伝』のなかで、『最後の晩餐』を描いているときのレオナルドについておもしろい話を残していますので紹介します。

 「修道院の院長は、レオナルドが絵を完成するように執拗に懇請した。レオナルドが、ときには半日も絵の前でぼんやり物思いに耽っているのが異常に思えたのである。・・・レオナルドは公に、芸術について説明し、次のことを納得させた。高い才能を持つ人は、実際に働いていないときこそかえってより多くの仕事をしている。頭の中で創意を求め、完全なる観念を形づくろうとするからである。まず脳裡で構想し、次に手を動かすことになる。さらにまだ2つの顔が描かれずに残っている。とつけ加えた。1つはキリストの顔で、これは地上に求めることは期待できない。人間の想像力によって、神は人間の姿となってあらわれたにちがいないが、その美と天上的な優雅さを思い描くことが出来ないからである。それからまだ描けないものにユダの顔があり、ユダについて思考をめぐらしたがその残忍な心、数々の恩恵を受けたあとで、主でありこの世の創造者である人を裏切ろうと決心したほどの人物の容貌がどのようなものか、想像することなどとうてい不可能と思われる。ただし、ユダの顔については、探してみようと思います。最後になってもより似つかわしい顔が見あたらぬ場合には、この修道院のあの頑なでわきまえない院長の顔を忘れないようにしましょう、と述べた。それを聞いてミラーノ公は大笑いし、それはもっともなことだ、と言った。」
ヴァザーリ著『ルネサンス画人伝』(Giorgio Vasari, Le vite de'più eccellenti pittori scultori ed architettori 1550)平川祐弘訳からの引用

さて、ユダの顔は修道院の院長の顔を描いたのでしょうか・・・?

「最後の晩餐」は、1977年から1999年にかけて修復が行われました。
女流修復家のピニン・ブランビッラ(Pinin Brambilla)女史一人で22年の歳月をかけ、レオナルドが描いた色彩が再生されました。キリストや使徒たちの表情は勿論のこと、食卓に並んでいる食器や食べ物まで詳細に甦りました。
ちなみに、食卓に並んでいる料理についていろいろな定説があったのですが、この修復後、絵の詳細がより鮮明になり、「Gastronomica」という雑誌でJohn Varriano氏は、分析の結果、ルネサンスの時代に流行していた「ウナギのグリルとオレンジスライス」という結論に至ったと発表しています。

■サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)と「最後の晩餐」の写真
http://milan.arounder.com/it/chiese/santa-maria-delle-grazie/cenacolo-vinciano.html

■教会へのアクセス
最寄りの地下鉄駅は、地下鉄1/2号線Conciliazione
Duomo付近を走る「サン・シーロ」行きのトラム16番に乗って10分弱で、教会が右手に見えてきます。

■「最後の晩餐」(Cenacolo vinciano)の見学について
完全予約制となっています。電話またはインターネットでの予約が必要となっています。
また入場人数制限をしており、25人ずつ、15分間見学が出来ます。尚、希望の日時に予約が取れなかった場合は、直接行ってキャンセル待ちの列に並ぶ方法もあります。
開館時間: 火曜~金曜、8:1519:00(月曜休館)
入館料:8ユーロ(予約手数料1.5ユーロ含む) オーディオ説明ガイド12.50ユーロ

■オンライン予約は:
http://www.vivaticket.it/tour.php?id=744&op=cenacoloVinciano

Basilica di Santa Maria delle Grazieのホームページ:
http://www.grazieop.it/index.html

生きたイタリア語のフレーズ 第35回

否定を表すフレーズ II
 今回は二重否定を表すときのフレーズをまとめました。
「・・・しないわけにはいかない」または「・・・せずにはいられない」という意味の二重否定の表現です。
■「・・・しないわけにはいかない」の作り方は、non potere「・・・できない」の後に、さらにnonの後に動詞の不定詞を持ってきます。すなわち否定を更に否定することになり二重否定の表現となります。二重否定の表現の効果は、不定詞の義務「・・・しなければならい」を強調することになります。
例えば、Non posso non pulire la camera oggi. 「今日、部屋を掃除しないわけにはいかない」は、言い換えるとDevo pulire la camera oggi assolutamente (ad ogni modo). 「今日、絶対(どうしても)部屋を掃除しなければならない」となります。

Non posso non studiare.
ノン ポッソ ノン ストゥディアーレ
勉強しないわけにはいかない。
Non posso non finire questo lavoro entro oggi.
ノン ポッソ ノン フィニーレ クエスト ラヴォーロ エントゥロ オッジ
今日中にこの仕事終えないわけにはいかない。
Non possiamo non ammettere quel fatto.
ノン ポッシアーモ ノン アッメッテレ クエル ファット
私たちはその事実を認めないわけにはいかない。
Non posso non pagare il debito.
ノン ポッソ ノン パガーレ イル デービト
借金を払わないわけにはいかない。
Non posso non partire subito.
ノン ポッソ ノン パルティーレ スービト
直ぐに出発しないわけにはいかない。
Non ho potuto non trattenere le lacrime.
ノン オ ポトゥート ノン トゥラッターレ レ ラクリメ
泣かずにはいられなかった。

non potere fare a meno di・・・は「・・・せずにはいられない」という意味です。fare a meno di・・・は、「・・・しないでおく(すませる)」という意味です。これも二重否定となります。

Non posso fare a meno di ridere.
ノン ポッソ ファーレ ア メーノ ディ リーデレ
笑わずにいられない。
Non posso fare a meno di mangiare i dolci.
ノン ポッソ ファーレ ア メーノ ディ マンジャーレ イ ドルチ
私は甘いものを食べずにはいられない。
Non posso fare a meno di vederla.
ノン ポッソ ファーレ ア メーノ デ ヴェデルラ
僕は彼女に会わずにはいられない。
Non ho potuto fare a meno di sentire quelle dicerie poco simpatiche.
ノン オ ポトゥート ファーレ ア メーノ ディ センティーレ クエルレ ディチェーリエ ポーコ シンパティケ
あのよくない噂がいやでも私の耳に入ってきてしまった。
Non potevo fare a meno di provare piacere.
ノン ポテーヴォ ファーレ ア メーノ ディ プロヴァーレ ピアチェーレ
喜びを感じずにはいられなかった。

■否定形は動詞の前に、否定辞(non)を置くことによって否定文が作られます。しかし場合によっては動詞の後ろに別の否定を表す言葉が加えられることがよくあります。イタリア語では、二重否定が肯定を表すことはなく、動詞が否定されていれば、その他の否定を表す言葉は、否定を強調する働きを意味しています。
nonmai「絶対に~ない」、nonpiù「もはや~しない」、nonmai più「もうこれで絶対ない、もう2度とない」、nonaffatto「全然~ない」、noncheche以下のことしか~ない」、nonniente「何も~ない」、nonnulla「何も~ない」、nonnessuno「何も~ない」

Io nonguardo mai la TV.
イーオ ノン グアルド マイ ラ ティーブ
僕はすこしもテレビは見ない。
Non lo dire mai più!
ノン ロ ディーレ マイ ピュ
絶対にそんなことを言うものじゃない!
Non ho affatto voglia di discutere con te.
ノン オ アッファット ヴォーリア ディ ディスクーテレ コン テ
君とは議論をする気は全然ありません。
Non vedo che per gli occhi di te.
ノン ヴェード ケ ペル リ オッキ ディ テ
君のことしか眼中にない。
Non me ne importa niente, va' dove vuoi.
ノン メ ネ インポルタ ニエンテ ヴァ ドーヴェ ヴオイ
私は全然かまわないから、何処へでも好きな所へ行きなさい。
Non potevo fare nulla per lo sciopero.
ノン ポテーヴォ ファーレ ヌッラ ロ ショーペロ
ストライキのため何も出来なかった。
Non c'è nessun dubbio.
ノン チェ ネッスーノ ドゥッビオ
一点の疑いもない。
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