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知って得するお茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

赤瀬川原平と茶(Ⅱ)

赤瀬川は茶の湯の精神の基本となる「侘び寂び」、「一期一会」に通じる「一回性の緊張と輝き」を大切とする。 多くの人々が花鳥風月に見る具象画は判り易いが抽象画や前衛芸術は判らないと言う。
自由で素直な感性、創造性や精神性に乏しいからではないか。

日本人は精神性を重んずるが、欧米はあまり大切にしていないと思っている人達は少なくない。 日本人の精神性の基本は何かと質問すると「侘び寂び」の精神があると言う。
どんな精神かと問うと侘びは侘び、寂びは寂びだと言って説明してくれる人は少ない。 代表例として「茶道」を上げて茶室や古田織部の茶碗などの名前を言う。
具象画が判ると思っているのと同じように、たゞ何となく理解していると思っているだけではないか。

しかし、古田織部の「織部焼茶碗」として残っているものは我が国の前衛芸術史の代表例と言って良いものだ。 織部の先輩利休が指導して現在は国宝になっている極小の茶室「待庵」も前衛建築だ。

赤瀬川自身が前衛芸術青年であった頃、 「日本的なもの、千利休、侘び寂びといったものは退嬰的、老人的、趣味的世界としか映らなかった」のだ。
しかし、利休に「芸術の本来の姿、前衛芸術への煽動である」を発見し「人のあとをなぞらず、繰り返さず、常に新しく、 一回性の輝きを求めていく作業を、別の言葉では『一期一会』とも言う」となる。

しかし、「一回性をもって特権的に許される瞬間の悪」と言える前衛は判断停止や形式にひれ伏してしまうと「前衛のスタイルだけが浮遊している」となってしまう。
「前衛はたしかに体制の毒素としてあらわれたが、その関係が転倒して、毒でさえあれば前衛のような、 要するに悪ぶることが新しいような、卑しい技術だけが蔓延している」となる。

つまり、伝統、前衛いずれであれ、固定概念を持って「ひれ伏す」とどちらも表面的、形式的なものとなってしまうのだ。

忘れてならぬのは、歴史や伝統は、それぞれの時点で前衛的爆発をしたものだ。それ故に「伝統とは破壊と創造」の連続となる。

具象画が判っていると思う人は一度自問自答してみるとよい。一見判ったように思って思考停止をしていないか。
抽象や前衛は「異質」と排除していては日本人の精神性は貧しくなるばかりだ。金銭と権威でしか考えられなくなっては寂しい。

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