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知って得するお茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

『南方録』南坊宗啓--立花実山

「南方録」は利休の茶の湯を伝える書で有名。利休の高弟・南坊宗啓が書き留めたものを黒田藩の立花実山が利休百回忌となる1690年に写本したという型をとって書かれている。

徳川幕府の元禄時代。封建制度真っ直中に、茶の湯の精神は平等で素直な人間関係が何より大切と説いている。

「滅後」の章に次のように書かれている。「賞客ト云ハ、貴賎ニヨラズ、申入レタル人ヲ上客トアシラフ也。平生ノ高下ニヨラズ」、「草庵ノ作法、天下ノ人、カクノゴトク休ノ清風ニシタガイ、貴賎一同、露地ノ本意ヲ行ワレシコト、寺院ノ清規ニマサリテ尊カリシ也」。

概略すると上座につく人は世俗の身分と関係なく訪れた順番にすればよい。利休の教えに従って貴賎を問わず自由に会して茶を飲むことが何にも増して尊いことだと云っている。つまり、人間は平等に取り扱うことが大切だとの認識をしている。

また、主客の心構えとして「覚書」の章で、次のように言っている。「カナフハヨシ、カナイタガルハアシシ」。本心からでなく、表面的な合わせの装いはよくないとする。前述の平等な人間関係の上で、主客は「直心」でなければならぬと説く。直心の「得心」と「不得心」の意思表示を基本とする。今日的な言い方をすれば、偽りのない会話だ。十分に納得の上で、承知、不承知の会話をする必要性を説いている。つまり、インフォームド チョイスの考えだ。

身分制のはっきりした元禄時代には危険思想だ。私はそれ故に「南方録」は用心をして立花実山が利休百回忌に資料はあったであろうが南坊宗啓が書いた本の写しであると装って著したのだと推察している。

現代では、この位の事を書くのは自由だ。しかし、実行するのは困難だ。今日の現実社会でも社会的地位と関係なく来た順番に座る自由があるだろうか。素直な会話も許されていない。本音と建前の差は著しい。「姿の見えない圧力」がある。それ故、いくら茶を飲んでも病気になる?

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