文化講座
第10回:「天ぷら」について学びます
前シリーズでは「私は麺食い人!」と題し、日本独自の発展を遂げたラーメンを始め、アジア各国の食文化ともつながりの深い麺料理など、バラエティに富んだ麺料理をご紹介しました。
今シリーズでは、「日本食って素晴らしい!」というテーマで、日本食の代表である「天ぷら」「寿司」「餅」「蕎麦」など、国内外で人気のある日本食についてご紹介しております。
「和食」がユネスコ無形文化遺産になって今年で10年目を迎えます。普段、私たちが食べている「日本食」の素晴らしさを一緒に再確認していきましょう。
第10回目のテーマは、「天ぷら」です。
コロナウイルス感染症も、本年5月8日に季節性インフルエンザと同じ扱いの5類感染症に分類され、海外からの旅行客も大幅に増加してきました。今回は海外の人にも人気の高い「天ぷら」について紹介します。
天ぷらとは
種(タネ)と呼ばれる食材(魚介類や野菜等)を小麦粉を主体とした衣をつけてから、天ぷら鍋などを使用して食用油で揚げる料理です。
日本人にとっては馴染み深い料理であり、元々は屋台で食べられた江戸庶民の大衆的な食べ物でした。
現在でもスーパーマーケットなど小売店の惣菜や立ち食いそば店の定番品として親しまれている、一般的な家庭料理となっています。
一方で天ぷら専門店等においては材料と調理に手間暇をかけて作られており、外国人からも日本の代表的な料理に挙げられることも多く高く評価されています。
天ぷらの語源
天ぷらの語源は、ポルトガル語の「テンポーラ(Temporas)」から来ています。
この言葉は「四季に行う斎日」という意味で、カトリックでは四季に行う斎日に祈祷と断食が行われ、肉を食べることが禁じられていたので野菜や魚に小麦粉をつけて揚げ物にして食べていました。
天ぷらの起源と歴史
天ぷらは、室町時代に鉄砲の伝来とともに"南蛮料理"としてポルトガルから伝わりました。
当時は小麦粉の衣はつけなかったようであり、油で魚肉などを空揚げにしたものでした。
日本の天ぷらは「長崎天ぷら」を起源にして東に伝わり、「江戸四大名物食」の一つとなり、現代では日本国内外に広がっています。
※江戸四大名物食とは、「寿司」・「天ぷら」・「蕎麦」・「うなぎ」を指します。
「長崎天ぷら」とは、衣に砂糖、塩、酒を加えてラードで揚げるもので、味の強い衣であるため何もつけずに食べるものでしたが、当時の日本にとって油は貴重なものだったので、油を大量に使う天ぷらは庶民が食べる料理ではありませんでした。
17世紀に関西に渡り、野菜を中心としたタネをラードの代わりにごま油などの植物油で揚げる「つけ揚げ」に発展しました。
天ぷらは江戸のファストフードに
江戸幕府開府とともに天ぷらは江戸に進出し、日本橋の魚河岸で商われる魚介類をごま油で揚げる「ゴマ揚げ」として庶民のあいだに浸透していきました。
家庭で天ぷらを揚げると煙が出て火事の危険もあるので、屋台店で売り始めました。
当時の天ぷらはゴマ油で揚げることで魚の生臭さを消し、同時に魚介類の保存期間・賞味期間を少しでも延ばそうという狙いもありました。
寿司、うなぎ、そばなどの屋台と並んで人気のあった天ぷらの立ち食い屋台では、串にささった天ぷらがおやつ感覚で食べられていました。一串は四文とされ、鮨一個とほぼ同じ値段でした。
江戸時代の天ぷら屋台
「近世職人尽絵詞」より
天ぷらならぬ「金ぷら」、「銀ぷら」
天ぷらが庶民に広まり、明治に入ると料亭や天ぷら専門店などの店が増え、高級料理としての地位も確立されました。
それとともに、揚げる素材や油の種類、衣にこだわった「金ぷら」や「銀ぷら」といった名前の天ぷらが登場しました。
「金ぷら」は、高級な鶏卵の黄身を衣に使った天ぷらのことを指し、金ぷらを真似て考案された卵白を使った天ぷらは、「銀ぷら」と呼ばれました。
しかし銀ぷらは評判が悪く、「天ぷら道の邪道」と呼ばれてすぐに姿を消しました。
「たね七分に腕三分」
天ぷらは、「たね七分に腕三分」と言われ、タネの素材とタネへの「仕事」が天ぷらの決め手とされています。
魚介類や各種野菜・根菜のほか、キノコ類、タケノコ、海苔など、多くの食材が天ぷらのタネとされています。
精進料理を元とする野菜の天ぷらは、精進揚げ(しょうじんあげ、しょうじあげ)と呼ばれる場合もあります。
震災をきっかけに全国へ
大正12年(1923年)に起きた関東大震災で職を失った職人たちが江戸を離れ日本各地に移り住み、江戸の料理だった天ぷらは日本全国で食べられるようになりました。
昭和初期には油が高価だったため、お祝いごとや祭りごと、お正月などに食べる特別な料理でした。
高級天ぷら専門店の「ハゲ天」や銀座「天一」が誕生したのもこの頃です。
高度経済成長期になると、油の生産が急速に増加し家庭でも手軽に食べることができる料理となりました。
家康の死因は天ぷら?
大河ドラマで話題沸騰中の徳川家康ですが、家康の死因は「天ぷらで食中毒を起こして亡くなった」という俗説があります。75歳だった徳川家康が趣味の鷹狩りに田中城へ出かけた際に、上方で流行しているという鯛の「天ぷら」が献上されました。しかし夜に腹痛を起こし、しばらくの療養生活を送った後に家康は亡くなりました。このことから、家康は天ぷらによる食中毒で亡くなったと言われています。しかし家康が死亡したのは天ぷらを食べてから3か月後で一時回復したことや、食欲不振・胸のつかえ・腹部のしこりなどの症状から、食中毒ではなく「胃がん」だったという見方が強く、胃がんにかかっていた家康が、お腹にもたれる天ぷらを食べて症状を悪化させたとみるのが有力です。
それでは、家庭で作る天ぷらを紹介します。
まずは、山菜と海老の天ぷらの紹介です。
山菜と海老の天ぷら
材料 | 4人分 | |
---|---|---|
新たけのこ | 小2本 | |
ふきのとう | 4コ | |
たらの芽 | 8本 | |
生しいたけ(あれば原木) | 4枚 | |
こごみ | 8本 | |
海老(1尾20~25g) | 8尾 | |
小麦粉 | 適宜 | |
A | 卵 | 1コ |
冷水 | 150ml | |
小麦粉(ふるったもの) | 1カップ(100~120g) | |
揚げ油 | 適宜 | |
木の芽 | 15枚 | |
抹茶塩 | 適宜 | |
唐辛子塩 | 適宜 | |
天つゆ | 適宜 | |
おろし大根 | 適宜 | |
おろししょうが | 適宜 |
作り方
- たけのこは下茹でします。
- 1.を縦4つに切ってから、8mm厚さに切り、下衣(小麦粉)をつけます。
- 海老は尾の1節を残して殻をむき、背ワタを抜いてから、腹側に切り込みを入れて腰を折ります(1人2尾)。
- ふきのとう、たらの芽、しいたけ、こごみ、海老はそれぞれ下衣(小麦粉)をつけます。
- (A)を合わせて天ぷら衣を作り、4.をつけて揚げます。しいたけはひだの方だけに衣をつけます。
- 木の芽をたたき、5.の残りの衣に混ぜ合わせ、2.のたけのこをつけて揚げます。
- お好みで抹茶塩や唐辛子塩、天つゆにおろし大根、おろししょうがを添えたものにつけて召し上がります。
※抹茶塩は抹茶と塩を1:10位の割合で混ぜたもの(唐辛子塩も同様です)
続いて、衣に長芋を加えてモチモチの食感の、もずくのモチモチかき揚げを紹介します。
もずくのモチモチかき揚げ(味付き沖縄天ぷら)
材料 | 4人分(16~20コ分) | |
---|---|---|
塩もずく | 100g | |
にんじん | 50g | |
万能ねぎ | 5本(5根) | |
ちくわ | 2本 | |
A | 卵 | 1コ |
水 | 100ml | |
長芋 | 100g | |
粗塩 | 小さじ1/2~2/3 | |
しょうゆ | 小さじ1/2 | |
小麦粉 | 100g | |
揚げ油 | 適宜 |
作り方
- 塩もずくは2~3回水を替えながら、10分程水に晒して塩気を抜きます。
- 1.の水気をペーパータオルでしっかりとふき、短く切ります。
- にんじんはせん切りにします。万能ねぎは3~4cm長さのざく切り、ちくわは1/3長さに切ってせん切りにします。
- 大きめのボウルに(A)を混ぜ、小麦粉をふるって加えます。
- 4.に2.と3.を加えて混ぜ、スプーンですくって揚げます。
- ペーパータオルを敷いた揚げバットの上に上げて、油気を切ります。
- 器にこんもりと盛ります。
これから暑くなる夏に向けて、疲労回復に役立つビタミンCを多く含むゴーヤーを使ったかき揚げを紹介します。
ゴーヤーのかき揚げ
材料 | 4人分 | 2人分 | |
---|---|---|---|
ゴーヤー(中) | 1本(200g) | 1/2本(100g) | |
玉ねぎ | 1/2コ(140g) | 1/4コ(70g) | |
スイートコーン(缶・粒状) | 1/2カップ | 1/4カップ | |
むきえび | 200g | 100g | |
桜えび | 大さじ4 | 大さじ2 | |
小麦粉(下衣) | 大さじ4 | 大さじ2 | |
A | 小麦粉 | 100g | 50g |
ビール(よく冷えたもの) | 100ml | 50ml | |
卵 | 1コ | 1/2コ | |
塩 | 小さじ1強 | 小さじ1/2強 |
作り方
- ゴーヤーはワタと種を取って斜め薄切り、玉ねぎは薄切りにします。
- ボウルに1.、コーン、背わたを取ったむきえび、桜えびを入れ、小麦粉をまぶします。
- ボウルに(A)を入れ、2.を加えて混ぜ合わせ、油で揚げます。