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インターネット公開文化講座

文化講座

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且坐喫茶:日本文化のグローカル性

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

日本語と英語

小学生の英語教育が始まるとのこと。早くから教えると日本語や思考に問題が生ずると反対する人達が居る。
しかし、生まれると同時に複数の言語が行きかっている地域では優れた文化国が多いから心配ご無用だ。

それよりも、我が国では、多くの人々が未だに「言語的鎖国」状態にあり、日本語の特性を知らないことの方が問題だ。それ故の独善的思考と勘違いと思える言動が少なくない。
世界共通語たる英語で発せられるナマ情報を"閉鎖"回避している体質は誤りだ。
現在は、何がグローバルスタンダード(全人類的基準)で、何がグローカルスタンダード(地域、民族あるいは国の基準)として肯定すべきかをはっきり認識する必要がある。

私は、優れた文化は人類文明基準を必要条件として満たした上で、ローカル特性を発揮している文化だと思っている。つまり、グローカル性ある文化が大切で、その発展によって、地球上の多くの人達が平和で楽しめる「自他楽」文化を楽しめることになる。
今や、英語を話せたり、理解できることは正当なグローカル性を育てるための必要条件であり、ローカル文化の特異性と普遍性を理解、育成するためにも不可欠となっている。
日本語は話言葉も、優しく、美しい。また、書いても書道が発達しているように素晴らしいハイアートとなっている。
和歌や俳句文化は人の感受性、情緒を育て優れた心象風景表現を可能にしている。

一方で、言語的曖昧性がある。
科学的思考や表現に適していない。日常的な会話にあって自己の立場と責任を意識した認識をハッキリする上でも問題がある。
日本人は相手の立場を重んじていると思っている人たちは多いが、日常的言語ではそうとは言えない。
例えば、多くの日本人は相手に近づくように向かう場合、日本語では「行く」と表現する。
英語では「I'm coming」と言う。日本語は自分中心の発想をしているが、英語では相手の立場に立った表現となっていると判る。

日常の発想は英語の方が客観性を持って相手の意思、心情を尊重する姿勢にある。
日常茶飯をベースとした茶の湯文化は、もてなしの文化であり、相手、客人を重んずる文化だと思っている。
しかし、相手の立場に立つとは、如何なる条件を満たした時に、そう言えるかの判断基準を意識しているだろうか。
単に、自分が相手の立場に立っていると自己満足的、独善的、おせっかい、押し付け的に思えばよいと感ぜられる場合が多い。
キッチュとならないように言語的検討が必要だ。

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