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且坐喫茶:日本文化のグローカル性

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

日本語と英語・・2

東京帝大医学部Ⅰ期生、軍医にして、文豪の森鷗外が、日本語は科学的表現には適していない旨を述べている。
判断するための判定基準を持った言葉の意味かどうか、難しい表現が多いからだ。
日本語も英語も、政治家やお役人達が用いる意識的で、微妙な曖昧表現はある。
また、英国のシェイクスピアやアメリカのロングフェローのような作家、詩人達によるような心情、情緒、知性を含めた芸術性表現には日本詩歌等と同様に素晴らしさがある。

我が国の医療現場では、医師と患者との会話で、それぞれが意味を取りたがえていることは、よく起っている。
例えば、癌治療の場で医師による「この薬は有効です」と患者に述べたとする。
この場合、患者側は、「有効」とは、「寿命が延びる」時に「治る」、「治癒する」ぐらいの思いとして受け止めていることがある。

日本語の「有効性」が英語では区別して用いられる「effective」なのか「responsive」と訳すべきなのか明確でないことから発生する。
医師は「responsive」の意味で患者と話し、患者側は「effective」の意味と解していることは少なくない。
癌化学療法における「responsive」の判定基準は、概略、例えば、悪性腫瘍の大きさの面積がX線写真で測定して50%以上、1ヶ月以上縮小しているとの意味なのだ。
その期間が一ヶ月を過ぎれば、大きくなることは有効性表現として問題ではないのだ。
治療によって、生存期間、つまり、延命効果があるかどうかは関係していない治療表現だと患者側は思って聞いているだろうか。
また、医師の言う「治癒」とは、5年間の生存が得られた場合を意味し、それを1日でも過ぎれば癌死となっても構わないのだ。

言語的スレ違いを避けるためには、日頃から、まずは「I」、「We」、「They」など日本語でも主語を意識して自己発言に責任を持ち、判断、判定基準の はっきりする言葉を用いるように留意して、素直で直心の会話に努力する必要がある。
時に、英語で如何な表現となるか考えるとよい。
同時に、且坐喫茶による雲水の如き禅的会話修行も必要な時代と言えまいか。

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