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インターネット公開文化講座

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且坐喫茶:日本文化のグローカル性

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

日本語と英語・・5

英語がカタカナ語として導入された場合に、大切な意味が変わってしまうことがある。
昨今の医療領域で言えば、患者が医療内容を選択して決定する権利を保障するInformed Consent(IC)が、日本語のインフォームド コンセント(イ・コ)とは意味が異なっているのが現実だ。
このICは、ヒポクラテス以来の医師と患者との関係、立場を基本的に変えるものだ。
医師は患者のために誠心誠意努めること、つまり、パターナリズム(父親)的に患者のために努力することにあった。
医師が一生懸命であれば、患者の意志、選択権は考える必要条件にはなかった。
ICは、医師側の患者に対する情報開示と患者の意志に基づく選択権を保障している。
医師は診断のために患者にオプションも含めた検査法の必要性を説明、患者の選択と同意を得るのだ。
その結果に基づき、オプションを含めた治療法の情報を医師は提供した上で、患者が選択、同意をすることになる。
以上がICによるプロセスだ。

患者に医師の誘導性、恣意性を排した公平な情報開示と患者の意志による選択、つまり、患者の自己決定権の尊重が必要条件なのだ。

我が国に、インフォームド コンセント(イ・コ)が導入されて久しくなっているが、医師による情報開示と患者が選択する自己決定権に対する意識、意志は、未だに乏しい。
言ってみれば、我が国のイ・コが従来型パターナリズム的恣意性ある親切な説明と同意パターンが多いのが現実となっている。
患者では医師の面前で医療のことは判らないからとお任せします型が多い。
医師に対する遠慮、おもんばかり体質の場合もあるが、患者としての責任と義務たる主体的意志決定をしようとの体質が弱い人達が少なくない。

"医療のことは判らないから、お任せします"は基本的には誤りで、判らなければ、しっかり質問しなければならない義務と責任があるのだ。
一見優しげな善人体質を装い、お互いの責任を曖昧とする問題先送り体質が根強い。
以上、英語でのICは必要情報に基づく患者の自己決定権を保障する選択同意なのだが、日本語でのイ・コは丁寧な誘導型説明とその説明への同意に意味が変わっている。
患者が選択、同意しようとする強い意志が求められているのが現実だ。
茶の湯は日常と非日常とを行き交う文化だ。時に、非日常の世界で世阿弥の言う「離見の見」で、あるべき姿を考えよう。

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