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やきもののやさしい鑑定

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

常滑・渥美の古いやきもの鑑定

 常滑は愛知県常滑市を中心とした知多半島全域にわたり、平安時代後期から現代まで焼き続けたやきものです。渥美は同じく渥美半島に常滑とほぼ同じく成立したやきものですが、終焉は早く、鎌倉時代の終わりころであろうと考えられています。
 これら常滑・渥美の源流は、平安時代の猿投というやきものにさかのぼります。平安時代の猿投はあらゆる意味でやきものに大きな変革をもたらし、中世最大の窯場として繁栄しました。時代が平安から鎌倉に変わり、貴族から武士の時代になると、内陸にある猿投は交易に不便なことから衰退に向かい、海に面して海上交通の要衝にある常滑は猿投に代わって繁栄します。作品の運搬先は、北は青森から南は四国、九州までと広がりました。常滑は農業の需要に基づき、肥料(糞尿)を入れる大きな甕をたくさん製作しました。
 それまでの農業は灰を肥料とした焼畑農業(一毛作)でしたが、次第に人間の糞尿を肥料に使う多毛作に変わってゆきました。その傾向が全国的に強まって行き、それにいち早く対応したのが常滑でした。肥料革命とも言うべき変革期に、大きくて頑丈な甕が全国的に必要になったのです。船を運搬に使って大々的な「海運業」を組織的に行ったのも常滑の当時としては独創的なアイデアであったようです。
 常滑の甕や壷は大ヒットして、市場を席捲します。その繁栄の影響を受けて、信楽や丹波、越前なども窯を焼き始めたと考えられます。中世のやきもの(下記の六古窯)の繁栄は農業に支えられていたといっても過言ではないようです。
 隣の渥美は古くからの土地柄からか、貴族からの依頼による作品を作り続けたことや、常滑に非常に近かったこともあり、今の言葉でいえば時代の波に押され、経済戦争に負けて衰退したと考えられます。しかし渥美の貴族的雰囲気の作品は、現代から考えますと美しく、その美術的価値は高く評価されています。反面、農業で使われたりした大きな常滑の甕は、やや人気に翳りがあるともいえます。

●常滑の作品の鑑定ポイント
  • 土が鉄分を含み、強く焼かれ、黒味を帯びたり、赤く変色している。
  • 三筋(3本の筋文様)があったり、押印などの装飾が多い。
  • 口造りに特徴があるものが多い。平安時代の口造りは(写真1) 鎌倉時代の口造りは(写真2)に代表される。
  • 肩に自然釉がかかるものが多い。
  • 素朴な、合理的な強さが感じられる。

●渥美の作品の鑑定ポイント
  • 平安時代後期の作品には釉薬の施された作品(施釉作品)が多い。
  • 土は砂ッぽく、ややグレー色をした土や薄いクリーム色の一見柔らかそうな土が多い。
  • 文様に独特の袈裟襷(けさだすき)文や連弁(れんべん)文を施されたものが多い。
  • 壷の口には、ゆったりした折り返しか、尖り刃風の三角縁が多い。
  • 壷の肩に「大」や「上」(写真3)の文字が書き込まれているものがある。
  • 姿かたちに品格があり、装飾的でもある。

 常滑の窯場は今までで合計3000基あるとされています。猿投、渥美が各500基ということを考えれば、常滑の繁栄がわかろうというものです。更に常滑は使いやすい山茶碗(碗と皿をいっしょにしたような中間的な作品)を大量に作り、壷やすり鉢などとともに販売して中世社会に大きく貢献しました。現在六古窯(ろっこよう)という呼び方がありますが、これは古陶磁器研究家で陶芸家の小山富士夫さんが名付けたものです。常滑を中心に、信楽、丹波、越前、瀬戸、備前の6つの窯で、平安時代、鎌倉時代に始まって、現代までやきものが続いていることが条件とされています。
 皆さんは美術館や博物館でこれらの作品をたくさん見てください。たくさん作品を見ていると、特徴や時代の形がだんだんわかるようになってゆきます。多くの作品を見比べることが大切です。

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