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やきもののやさしい鑑定

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

やきもの鑑定の基礎知識 なぜ焼き物は焼かれるのか

縄文時代の人たちは土を焼くと強く固まることを知っていました。それは土器をみればすぐわかります。縄文時代初期の人たち(縄文時代の人たちは今から約13000年前に土器を世界で最初に焼いたとされています)は、獲物を焼いて食べるときに焚き火をしたことでしょう。その際に焚き火で焼かれた地面の土が堅くなることを経験的に知っていたのでしょう。それがきっと土器を作り出すきっかけになったのではと推測されます。

そこで彼らは土で碗のような形を作って火で焼いてみた、これが世界最古といわれる縄文土器のはじまりではないでしょうか。彼らはまだ高温になる窯で焼き締めるという技術を知りませんでしたので、大掛かりな焚き火の中で土器を焼いたのです。普通の焚き火の規模ではなくて、もっと大きな強い焚き火、何メートルもある大きな焚き火で焼いたのでしょうが、外での焚き火ですからまわりの空気も冷たく、温度はさほど上がらず、せいぜい600度から700度になればよい状況だったのでしょう。

土はこうした焚き火でも焼かれれば収縮して、結構強く焼き締まりますので、通常の煮炊きには適していたのでしょう。しかし発掘現場から出土してくる土器の姿をみると、底に損傷があるものが多いのです。それはどうしてかといいますと、冷たい地面に接して焼かれた底の温度が上がらなかったために、底の地面に接して焼いた部分の焼き上がりが悪く、使うと底がこわれやすかったという欠点があったためです。

今回は縄文土器の話になりましたので、ここでやきものと土、またその土をなぜ高温で焼くのかということを勉強してゆきましょう。

日本には多くの焼き物を焼く場所、すなはち窯場があります。その中でも特に大きな窯場といいますと、やはり瀬戸ということになるでしょう。この瀬戸の街を訪れますと、街の中央部を流れる川が焼き物に使う土で真っ白で、いかにも陶芸のふるさとという感を深くさせられます。街のあちこちでは、巨大な露天堀りがあり、今でもたくさんの陶土が採取されています。ここから取れる陶土は、花崗岩が長い年月のあいだに堆積し、風化変質して陶土にふさわしいものになったと考えられます。この土の特徴は、土の中に微粒の長石が多く含まれていることです。

中でもこの含まれる長石が大きい粒状のものを蛙の目玉が水面から出ているのに似ていることから「蛙目(がいろめ)」と呼んでいます。また風化花崗岩の陶土に硬い木や枝の節が入って目立つ土を「木節粘土(きぶしねんど)」と呼んでいます。蛙目粘土は多治見地方、瀬戸地方他、伊勢、伊賀、近江に広がっているといわれ、木節粘土は瀬戸、美濃地方から大和、山城、信楽、近江に分布しているとされます。

こうした風化花崗岩がもっと長い年月、空気や水にさらされますと、やわらかい微細な砂のようになります。そうした土を瀬戸、多治見のあたりではサバと呼んでいるようです。韓国ではサバエという言葉が「お碗」という意味らしく、サバと関連があるとすれば、この瀬戸地方に朝鮮からの陶工が来て製作したかもしれないという点で大変興味があります。

伊万里磁器の原石として採取された泉山の石のように、カオリンという粘り化の強い成分を多く含む石、(伊万里では土でなく石を粉砕して使用します)このカオリンや長石をたくさん含んでいる土を、やきものに適した土といいます。長石が溶ける温度は約1,000度といわれ、伊万里磁器の原料であるカオリンが溶けるのが1,300度以上とされています。

こうしたやきものに適した土を使って形作られた作品を焼きますと、まず長石が溶ける1000度を超える温度になりますと、土の中に微粒子として細かく存在する長石が溶け始め、解け合った長石は土に含まれる砂や土をまわりから包み込みます。あたかもお菓子の「おこし」のようだと指摘したのは、科学者で「陶磁器の科学」という名著を書かれた内藤 匡(ないとうただし)先生ですが、このおこしの米粒、粟粒の間に水飴がとけ込んでゆくありさまは、まさにやきものの長石が溶けて粘土の中の砂、土を包み込むありさまを彷彿とさせます。おこしの水飴が冷えて固まれば、歯が欠けそうなくらいの堅さになるのと同じように、やきものも焼成を終えて、長石やカオリンが冷えて固く焼き締まれば、強く、薄くて水も通さないすぐれた器に変貌するのです。さらに内藤先生は窯の温度が1,000度をこえると、ガラス化した釉のうちに、ムライトという鉱物の柱状結晶がうまれはじめ、これがやきものの強度をより一層強くし、あたかも鉄筋コンクリートの建物の鉄骨のような役目をするので、なおさらやきものを強くするのだと書いておられます。まことにわかりやすいたとえだと思います。

ここまで述べましたことをまとめて考えますと、やきものの究極とは、長石の微粒子をふんだんに含む粘り化の多い土をつかって造形し、窯の中で管理できる温度で長石やカオリンを溶かしガラス化させた上で、形を損なわずに冷却させるという、長い人類の歴史の中で、我々の先祖が経験的に積み上げてきた総合的な大変な技術なのだということがわかってくるのです。


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