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家族で楽しむ里山術

里山研究家 吉澤 守(ヨシザワマモル)

里山遊びのマテリアル(素材)

都会と里山での過ごし方の違いをお金という側面から考えてみます。
都会は主に消費地ですから、ほとんどの物はお金で求めることができます。「カブトムシやクワガタはどこに生息していますか?」という問いに「デパート」と答えた子供がいた、という冗談話ではない事例を聞かされたことがあります。
一方、里山は主に自然地ですから、お金で求めることができる商品には恵まれていません。そのかわり、山にも森にも小川にも、創意と工夫さえあれば、その場を楽しむチャンスはいくらでも潜んでいます。「里山には何もない」と言われる方がおられますが、トトロの物語のように「自然は、見える人には見えるが、見えない人には何も見えない」ものです。何事もお金で価値をはかることに慣れた生活をしていると、デパートも商店も見当たらない里山には、楽しみが何もないという錯角に陥ってしまうのでしょうか。

私が小学生だった昭和30年代は、まだ周囲に自然がいっぱい残っていて、遊び場といえば、いつも神社の境内か町はずれの山中、あるいは小川の中でした。学校で、誰かがクワガタを自慢していると、他の誰かがそれより大きなクワガタを差し出して自慢します。そして最後に誰よりも大きなクワガタを採ってきた人が、野遊びのチャンピオンとして、同級生の仲間うちでは尊敬されたものでした。
勉強が少しできる子も、大きなクワガタを採る知恵を持った子には勝てず、自然をより深く知っている子の方が、人前で優位に立っていたものです。かつての野遊びの大将が大人になった現在の姿をみてみますと、そういう人は人生を何倍も楽しんでいる人が多く、他人の悩み事の相談にものってあげられる、頼りがいのある人が多いものです。

私がいつも居る森に、子供たちが両親に連れられてやって来る時、私はなるべく何をして遊ぼうというメニューを示さないでおきます。遊びのための小道具を何気なく置いて、誰でも自由に使っていただけるようにしておきます。子供たちは、最初はもじもじしていますが、そのうちだんだんと行動範囲が広くなって、自分のお気に入りの素材(マテリアル)を拾い集めてきます。
丸太を手にした子は、ノコギリでその丸太を輪切りにして、お母さんに「鍋敷き」といって渡しました。お母さんは、目を輝かせて「こんなのが欲しかったの」とお礼を言いました。その事をきっかけにして、大きな斧を初めて使って薪を割り、ロープでブランコを作り、はじめて出会った子供たちとも仲間になりました。
「もうそろそろ終わりにしようか」と声を掛けても、次から次から遊びを見つけては、とうとう子供共和国まで建国してしまいました。

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