文化講座
自然であろうとする「日本文化」の特性
前回も述べたように、日本文化の特徴は自然により近づこうという意志が強く働いていることといえる。縄文時代から自然の中に住み、自然の流れに逆らわない生き方をしてきた。それは人間より自然の猛威の方がはるかに強大だからである。今回の東北を襲った大地震や津波に対して現代の人間ですらなすすべを持たない。自然神である八百万の神を信仰し、自然であろうとすること、すなわち永遠性ということより、有限性、刹那的であること、朽ちてゆくこと、仏教の教えでいう「空」の理論に従うことが大切であると考えてきた。
それに反してエジプトやヨーロッパ、中国などの古代社会では、人間の霊魂の永遠性と肉体の不死を求めて文化を築き上げてきた。死体の防腐処理、すなわちミイラの思想や永遠の命を求め、巨大石造墳墓における再生の儀式などが盛んに行われてきた。もちろん日本もこうした影響を受けているが、仏教の受容がそうした考えより、より進んだ方向性を日本人に植え付けたと考えられる。私たちの祖先は、何百年も生きた人間はいないこと、死んで生き返った人間はいないという現実を冷静に、しっかりと受け止めた。
20世紀のヨーロッパにはヤスパースやハイデッガーなどのように、実存主義哲学者が台頭した。多くの戦争を体験し、救いのない残酷さを体験した。宗教は政治なのだということも体験した。キリスト教世界の中で生きることに疑問を持ち、むしろ個としての生が大切だという考え方に至ったのである。それをニーチェは「神は死んだ」という言葉で言い切った。キリスト教社会の中に生きた、長い中世という教会支配の暗い時代は終わった。これからは自分の生き方、はつらつとした自分という「個」の生き方が大切であると彼は言った。私はかつて西洋の哲学や文学を学んだ時に、そうした実存主義に傾倒した。しかし日本の宗教や哲学、特に奈良時代の思想を勉強すると、既に日本では20世紀のヨーロッパにおける実存主義の問題を8世紀の日本で克服していたことに気が付いた。奈良六学派といわれている中の法相宗(玄奘三蔵の弟子であった慈恩大師の開いた学派で、存在するものは人間の8つの心の機能によって成り立っていて、それらは皆、不変のものではないとする考え方)の中の「唯識」という考え方を確立させた。個人である人間が死ぬと、個人にとってはすべてが無になるという考え方、世界も個人が死ぬとなくなる。すべての物質世界がなくなる。しかし生きている側からすれば、その人が死ぬだけで、すべては変わらない。世界は存続する。その人が生きている間だけ存続する。やがてその人も死ねば、その人の世界はすべてなくなる。無になる。世界は生きている「個」の認識の中にのみ存在するという考え=唯識。8世紀の初め、ヨーロッパにもどこにもなく、何物にもとらわれない、純粋で、政治的でもなく、冷静に死を見つめた哲学があった。それが日本において、奈良時代に発展した。
お釈迦様は弟子から死後の世界について問われた時にこう答えたと伝えられている。「私は死んだ経験がないから分からない」と。釈迦は死後の世界について語っていない。死後の復活、再生、極楽往生はエジプトの思想であり、そうあってほしいという願望が作り上げた希望の思想であるとともに、人々が極楽往生するためには善行を行う必要があるという、為政者からすれば人民統治に都合のよい思想である。それは日本のオリジナルでも、インドのオリジナルでもなんでもない、阿弥陀仏はエジプトのオシリス神であることは前にも述べた。極楽往生、永遠の幸福を願うエジプト人の考え方が、そこには大きく投影されている。
日本人は奈良時代にこうした個の哲学、「神」を超えた日本の実存哲学「唯識」を確立した。そこから日本の宗教は出発しているといえる。自然に回帰する思想、無理なく生ききる思想、それが自然とともに生きるという考え方に帰結する。充実した「個」の人生、それ以外に「真理」はないのである。この考え方は現代を生きる上でも、極めて重要であると思う。生きる上での「苦」を取り去ることが釈迦の思想の中心を形成している。こうしてみると釈迦の教えにはむしろ薬師如来的な要素が強く、阿弥陀的なものはないといえる。西洋の実存主義に1100年先立つ日本人のこうした考え方は素晴らしいと思う。
日本文化と西洋文化との決定的な違い
さて、そうした日本文化で極めて興味深いことは、古代から中世にかけて諸外国からさまざまな影響を受けたにもかかわらず、独自の文化を築き上げてきた歴史があることである。韓国、中国は最も日本に近く、人種的にも似た国であるが、生活習慣や思考方法にかなりの違いが存在する。島国である日本と西洋を含めたいわゆる大陸的発想の違いは大きく、日本美術や芸術の特質を考える上で、その違いを明確にしておくことは、これから古美術、骨董の勉強をしてゆく上で大変重要なことであると思う。そこで分かりやすくするために、下の表を作成してみた。
日本文化の傾向 | 大陸・ヨーロッパ文化の傾向 | |
---|---|---|
宗教は多神教・受容的 | 宗教 | 宗教は一神教が多い・排他的 |
建築は木の文化 (寺院・家屋・橋など) |
建築 | 石の文化 (神殿・彫刻・住居・橋など) |
仏像は石・銅から木材中心へ | 仏像 | 石・銅など永遠性のある材質中心 |
庭園は自然にならう | 庭園 | 庭園は人為的・造形的・幾何学的 |
噴水は好まない | 噴水 | 噴水を好む |
主食は穀類・菜食中心 | 主食 | 肉食中心 |
生食文化・素材重視と新鮮さ | 調理方法 | 熱処理調理・調味料・香辛料 味付け |
鍵文化は発達しない 村社会 開放的 |
鍵文化、防衛 | 鍵文化の発展・自己防衛 ・自己責任 |
土・紙・木の文化 | 材質傾向 | 金属・石・宝石・ ガラスを大切にする |
時間がつくり出す変化を愛でる | 時間への概念 | 永遠・不変の希求 |
自然の風合い、変化を重視 | 自然と人工 | 人為的加工を重視・ 現状維持(ミント) |
感覚的・非論理的・情緒的思考 | 思考 | 合理的・理詰め・哲学の発展 |
不完全主義・自然重視 | 思考傾向 | 完全主義・人工重視 |
あいまい・協調主義→外交下手 和 | 性格 | 自己主張・個人主義→外交上手 |
自然(四季)に従う→情緒の発達 | 自然との 向き合い |
自然を克服→科学の発展 |
刀は引いて相手を切る ・刀の反り |
刀の使用方法 | 突いて相手を刺す ・フェンシングなど |
これを見ただけで、いかに日本文化が大陸文化と違うかということをご理解いただけたかと思う。
よくいわれることであるが、日本人は生まれるとお宮参りをし、結婚式は教会で行い、クリスマスをケーキで楽しみ、死ぬと仏教の世話になる。日本は歴史も古く、古来から自然の中に暮らし、八百万の神である自然神を信奉してきた。であるから「神々」もまた実に寛大であって、決して排他的ではない。異教の神が入ってきても最終的には排除しないで共存しようとする。イスラム教やキリスト教から見ると、日本人はなんと節操のない民族なのかと思うだろう。しかしそれこそが日本人の生き方そのものなのである。
石の否定から神の宿る木の受容への変化の過程で、長い年月の中で時間が作り上げる木の変化の妙が重視されてきた。古色とか劣化の美といわれる独特の世界。中国や韓国もそうであるが、寺院が古くなるとキンピカに塗り直す。ところが日本では塗り直さない。もし法隆寺や興福寺、宇治の平等院が創建当時のように真新しい朱色やキンピカに塗り直されたらどうだろうか。そこに古代から現代への日本人に至る大きな意識の変化が存在する。


ハンガリーのブダペスト市内の石造建築と日本の木造家屋
日本と反対なのが西洋である。ベルサイユ宮殿などの庭園を見ると、幾何学的な花壇は宮殿の2階から見てこそ美しい。日本の場合は平面的であり、人間の目線で見て美しいように作られており、上から見おろす庭園はない。噴水は西洋では富と権力の象徴とされているが、日本には定着しない。自然の中では、水は上から下へ流れ落ちるもので、下から上へ吹き上げるのは感覚的になじまない。


ロシア・エカテリーナ宮殿の噴水と石彫のある花壇
ヨーロッパ中世都市の住居は石や煉瓦でできており、壁は古くなるとペンキで塗り替えられる。日本のように木と土と紙の家は見かけない。崩れかかった古びた築地塀は存在しない。一番大きな違いは食物である。

ひなびた日本風家屋の門
古来、日本では米を中心とした穀物、菜食が中心であったが、西洋では肉食が中心である。料理も味付け加工の妙を楽しむが、日本では素材のよさを殺さないことが最大の贅沢とされてきた。発酵食品にも独自の文化がある。こうした文化には大きく気候が影響している。四季折々の変化に富んだ日本の風土は、繊細な日本人を育て上げてきたといえる。そうした繊細さが「雅びさ」、もののあはれ、すなはち「情緒」「趣」に重きを置く平安時代の文化の形成に大きく関わることになる。次回はこの平安時代の美術品を通して日本人の繊細さについて考えてみたい。