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マモさんの里山講座

里山研究家 吉澤 守(ヨシザワマモル)

里山ってどこ?

"里山"らしい里に着いて、里の人に「いい里山ですねー」と話しかけても、その人は、おそらくピンときません。里山に暮らしているという実感が無いからです。
それは、全国のどの里(地方の田舎のある集落)へ行っても同じだと思います。「こんな田舎のどこがいいかのー」という返事がかえってくるのが普通です。
今のところ、里には里山という場所はありません。なぜなら、里山というのは、その言葉自体が里の人によって語られたのではなく、 都会のしかも大都会の人の創作によって広められた現代用語であるために、"里山"というところは、都会の人のイメージの中には存在しますが、里にはその実態的な場所は残念ながら存在しないのです。

事実、都会の人が里山だと感じる里の人々の日常の生活は、都市の生活内容とほとんど変わるものではなく、リアルタイムな国際情報も、都市生活者とほとんど共有しています。

ただ、はっきりと違いがあるのは、周辺を包み込む自然性についてですが、その自然という点についても、都会の人が一昔前の姿をイメージする原風景的な自然とは、かなりの相違があります。
現実には、里で都市型の生活を営みながら、継承してきた家系や里の風習を必死で守っているのが現代の里の暮らしといえます。

都会の人達がイメージする里山とは、大きく分けて三つのイメージがそこに存在すると私は考えます。
その一つは、19世紀型の里山と呼ばれるもので、これは、西洋文明の考え方が日本に入り込む以前の、完全な自給自足の生活を可能としていた時代がイメージされています。

こうした場所を実在する里で探すのはなかなか難しいものです。
二つ目のイメージは、昭和30年代の里山です。
日本が高度成長期に入る以前の、日本的な原風景がまだ至るところに残っていた頃のイメージです。
その名残りをとどめる里は、まだまだ方々に点在していると考えます。

第三のイメージは、未来志向型の里山です。
このイメージについては、私の独断的な発想ですが、要点を申し上げますと、里の自然性を維持しながら、現代人が到達してきた文明的生活をマッチングさせようとする試みです。 そして、この第三のイメージである未来志向型の里山づくりが、これからの里山を考える上で重要なファクターであると考えています。

それは、19世紀型の里山や昭和30年代の里山にはなかった文明や文化レベル、あるいは環境意識を取り入れながら、新しい感覚の里山の価値の創造が求められているからです。

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