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骨董で贋作をつかまないシリーズ

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

法隆寺金堂展に想う

これまで私の経験から贋作をつかまない方法を11回書いてきましたが、早いもので今回で12回の終了となりました。日本で多くの骨董品を売っている中国の商売人たちは、贋作をつかむのは、買う本人が悪い、すなはち自分が勉強しないから贋作をつかむのだと声をそろえていいます。確かにそういう一面も見方としてはあるかもしれません。
日本は島国ですから、自分の生活テリトリーで相手をだましたり、良くない物を売ったりすると致命傷になります。狭い日本で悪い評判が立ちますと、もう2度と買いに来るお客はいなくなることでしょう。日本では中国人たちのように、贋物を買う方が悪いとは決して言いません。贋作を売るほうが悪いのです。そうしたモラルが日本的道徳社会を形成してきましたし、日本人のよさ、真面目さ、勤勉さを形成してきました。

ここのところ連日ニュースをさわがせているのが無差別殺傷事件です。連日のこんな事件はつい2、3年くらい前まで日本には起こりえませんでした。男だけでなく、女性も、夫婦でも、親子でも、あげくは女子生徒までが先生を刺したりと驚くことばかりの連続です。
もちろんこうしたことの遠い原因は「自由」ということの意味の見誤りであると考えられます。アメリカから入ってきた「自由」が日本の場合は戦後の大きな土台を形成していますが、イギリスでは「自由」は好きなことをやって良いということではなくて、規律の上に立ってこそ認められる「自由」ということを意味しています。社会としての最低の規律、これを守った上でのみ守られる「自由」という概念は日本には育ちませんでした。

明治、大正、昭和と物を鑑賞したり、見るということにも専門家の見方を参考にしたり、権威ある本に寄りかかるというか、自分という個の中に入り込むことが出来なかった。そのことの一番の原因は、過去の歴史において日本には「自由」という概念が育たなかったからだともいえます。
戦前の日本人は書籍を良く読む真面目な民族といわれました。勤勉に働きました。しかしそこには古くからの支配体制を尊ぶ人民の姿がありました。第二次世界大戦後、そうした世界は崩壊して、指導者達は自信を失い、目標を失いました。国家という目的の喪失。目標の喪失。その結果としての自己への逃避、すなはち自分のためだけに生きるという選択。そして近年の不況とその結果としての失業、リストラという名目での解雇。子供の教育に対する親の義務の放棄と家のローンの返済不能、それに続く家庭の崩壊、自己責任の崩壊。そして最も恐ろしい結末、結果としての自暴自棄と刑罰の甘さからの殺傷事件への連鎖。
自分という存在をどう考えるか、これは相手をどう考えるかということにもつながってきます。人があっての自分、自分あっての人。現在という世界は、過去の世界の延長線上にあります。

先日、関西に行く用のついでに奈良の法隆寺金堂展を観て来ました。通常の法隆寺金堂では暗くて中の様子は見る事が出来ません。今回はそうした暗さを全く排除した、奈良国立博物館の明るい展示照明の元で、多くの仏像、美術品を楽しむ事ができました。「美術」というものには不思議な力があります。人間を開放してくれる力、勇気づけてくれる力、生に立ち向かう力を与えてくれる力というか、何かがあります。法隆寺金堂展に並んだ四天王像をみてとても感動しました。悪を寄せ付けないとされるその表情には、大げさな表情も、特別な気負いも気配も何もなく、ただ自然な姿で立っているのみです。「自然体」こそが最も普遍の姿であり、「人間の美」の原点の姿であるとつくづく思いました。今まで11回の中で述べさせていただいたことをどうか自然体で実践してみてください。素直な見方こそが皆さんの美的感性の向上、ひいては贋作をつかまないことにつながる唯一の方法といえるものなのです。(完)

次回からは「古美術・骨董講座 やきもののやさしい鑑定」を12回にわたり連載いたしますので、引き続きご愛読いただけますようにお願いいたします。

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