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インターネット公開文化講座

文化講座

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東北こけし紀行

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

こけしの謎を解く 7 「鳴子のこけし」

 
赤色の強い鳴子の古作こけしたち

 鳴子のこけしは最も「こけし」らしい形をしているといわれます。ローソク形で、いかにも端正なたたずまいのこけしです。こけしというと鳴子のこけしを思いだすというほど、こけしの代表的な産地といえるようです。
 また遠刈田とならび、こけしの発祥の地ともいわれる鳴子だけあって、ここには大きな「日本こけし館」(TEL:0229-83-3600)があります。こけしコレクターとして有名な童話作家の深沢要さんと高松宮殿下が下賜された秘蔵品が展示されています。私はまずこうした大きな展示会場がある場合はそこを訪ねることにしています。鳴子だけではなく、全国のこけしがそこには並んでいますが、ロクロ挽きの実演も見学できますし、地元の古い鳴子のこけしも見ることができます。

 
日本こけし館とそのコレクション

古いろくろを回す高橋輝行工人

 一般的に鳴子のこけしはそうですが、首を回すとキイキイと擦れるかん高い音がします。それは赤子の元気で大きな泣き声、生きたいという大きな泣き声なのではないかという説もあります。女児の「間引き」ということがこけしの発生「供養説」の背後にあるという私の仮説も、こう書きますと少々気が滅入ります。しかし情に流されずに音が出る事実は事実として、そうしたつくり方を採用しているということを冷静に考えねばならず、すべての文様と同じように、この音も考慮しなければならないでしょう。あえて摩擦熱を使ってキッチリはめ込んで高音を出すということはやはり赤子の元気な産声なのでしょうか?やはりそうした意味があったのだと思います。それ以外に思い当りません。

木地挽きの実演をする高橋輝行工人

「さあ、首を入れるよ~」

「入った!」

断面はこんな感じです。

現代のこけし店 内閣総理大臣賞に輝く桜井昭二工人(故人)の店

楽しんでこけしを作る岡崎靖男さん

 赤の色について
 これらのこけしだけでなく、同時代のこけしを見ると、赤色が強烈に目に入ります。輪文様や頭の文様などが赤ではっきり、明確に描かれています。赤については縄文時代以降、土器や古墳の玄室、すなわち棺を安置する石室の装飾や棺そのものの中にベンガラ、すなわち酸化鉄が丁寧に塗られていることで有名です。下地の表面をしっかりとコーティングしてはっきりと発色する上、優れた耐熱・耐水・耐光・耐酸・耐アルカリ性を有する顔料です。しかし、古来多用されてきた理由はそれだけでしょうか。「赤色」は血の色であり、その赤い血が生命の維持に重要であることを太古の時代から人々は経験的に知っていたと推測できます。ケガや戦争で傷ついた人は赤い血を流し、たくさんの血液が流れ出れば死に至ることを知っていたのです。ですから逆に赤い血を体内に戻せば生き返る、すなわち再生・復活すると考えられたのです。それゆえに墓室や棺の中にたくさんの血液と同じ赤色を塗って、復活・再生の儀式をしたのです。人工的な血液をベンガラに仮託したということになります。古墳から出土品にはふんだんにベンガラが振りかけられており、小さな玉、ビーズ玉などの小さな穴の中からもベンガラが固く付着した状態で採取されます。それはどういうことを意味するかといえば、遺体にもふんだんのベンガラ、いわば血液としてのベンガラが大量に振りかけられたということを証明しています。それはまさに復活・再生を願った古代の人たちの願いだったのです。
キリストの磔刑の折に、流れ出た血液を受けたとされる「聖杯」、グラール(Grail)伝説はまさにキリストの復活劇を予測させる話です。その「血」はキリストの「命」そのものなのです。その血があればキリストは復活できると考えられたのです。
 法隆寺に隣接した古墳の埋葬事例である藤ノ木古墳の石棺を例に写真を見てみましょう。


赤く塗られた藤ノ木古墳石棺内部
(写真:吉川弘文館刊行・斑鳩・藤ノ木古墳 既報 より転載)

赤く復元された模造の石棺

 また縄文時代の土器にも赤のベンガラが塗られたものが多く見られます。ベンガラが土器に保存された状態で発見された事例もあります。赤は太陽に象徴される強烈な色彩でもありますが、生命の源である太陽と血液が赤で代表されるということが、最も重要な生命の根源、また生命そのものと太古からの人たちに理解されたことは疑う余地のないことだと思います。夕焼けで真っ赤に染まった西の空を「冥界」と考えた理由もやはり赤のもつ神秘性と生命の再生・復活およびそれらの大もとである太陽に由来するからではないかと思われます。
 今回は「こけし」の発生に遡って考えている訳ですが、古来からのこうした「赤」が「こけし」にも大きく影響していることは確実です。たくさんの古いこけしを前にしていますと古いものほど赤がすごく目立つのです。


こけしの胴体に描かれた花文様

 それにはもちろん黒以外の色、黄色、緑、青などが退化しやすい色が使われているという事実もあるのですが、そのことを差し引いても「赤」が多用されています。赤と黒しか使われていないこけしも目につきます。上に述べてきた「赤色」のことを勘案すれば、これだけでも葬送や復活・再生・慰霊の儀式に使われたものであろうことは、高い確率で推測されます。現代でこそ赤はファッショナブルな色で、企業のイメージ戦略に使われている色で、我々もそうした現代的常識に固まった観念の中で「赤」を見ていますから、にわかには信じ難いことと思います。しかし神社のご神体である鏡にシンボライズされた天照大御神を祀る神殿そのものが朱でいろどられています。太陽神を祀る神社には一番「朱」や赤がふさわしい色といえます。「赤への信仰」といってもいいくらいに赤が宗教的色彩としてあらわれる場合が多いのです。

 花文様について
 こけしの文様で圧倒的に多いのが花です。なぜ「花」なのでしょうか。前に私が動物と人を分ける大きな違いは「葬送」であると書いたことを思い出してください。世界史などの本には人と動物をわける特徴は「言語をつかう」「道具をつかう」「火をつかう」とされて来ましたが、私が文化の源流と考えるのが「葬送」で、これが人間の最大の特徴であると考えてきました。約10万年前の太古の人類、それがネアンデルタール人ですが、近年、彼らが現代人のルーツであることがDNAの調査で証明されました。そのネアンデルタール人たちは親しい人が死ぬと墓に遺体を埋め、その折に「花」を添えたことが、遺体に花粉が多く残存していたことからわかっています。すなわち「葬式」をした証拠なのです。
 現代人である我々も肉親や親族、友人、知人の葬儀に参列した折には、献花します。また告別式でのお別れの最後に棺の中を白い菊でいっぱいにしてあの世に旅立たせます。その感覚は10万年前のネアンデルタール人と変わらないのです。それが人間の心なのです。「花」は美しいもの、何か神聖なもの、清らかなもの、穢れの無いものの象徴なのかもしれません。こけしの花文様も同じなのではないでしょうか。
 母の日のカーネーションや恋人に花を送るという風習は「現代」のものであり、現代人によってつくられた風習といえます。古来花を添えるとは死者への捧げものであり、それはエジプトの葬送の習慣以来の名残と考えられます。エジプトでは蓮を葬送に使ったことも前に書かせてもらっているので省きますが、香りがいいこと、それが死臭を和らげることから「香」を焚くという弔いの風習となり、日本では香から「線香」に変化してきました。それが人類の最も古い四代文明の一つ、古代エジプトの葬送で活躍した「蓮」、ロータスでした。ラムセス2世の王妃の衣装に縫い付けられた蓮文様は、ある意味で王家のシンボルであった可能性も否定できません。

 

 ペルシャではやはり王家のシンボル文様になり、それがインドで仏教に影響を及ぼして蓮は逆に日本ではお寺のシンボル、仏教のシンボルとなってゆき、次第に「菊紋」に変化して、明治時代になって正式に皇室の18弁の菊花となったと私は考えています。後でこの問題は別に書いてみたいと思います。
 静岡県立大学教授の立田洋司氏の著作「唐草文様」(講談社選書メチエ)によりますと、エジプトの蓮は横から見た蓮の花と上から見た蓮の花がデザイン化されて次のデザインに変化したとされます。


エジプトの唐草図(同書より転載)

古作鳴子こけしの花文様写真

 これは鳴子のこけしに描かれ、一般的に「菊文様」とされる文様にそっくりです。こうした横向きの花と上向きの花が一体化した文様がいきなり日本で、オリジナルとして出現することはありません。日本は古来、ギリシャ、エジプトの影響をシルクロードによって享受してきており、それが法隆寺の装飾様式にはっきり表現されています。本尊、釈迦三尊の光背の、日本で最も古い唐草文様、エンタシスの柱、金堂の卍型勾欄など枚挙にいとまがありません。若草伽藍(わかくさがらん)出土とされる瓦の蓮文様も日本最古のものですが、やはりオリエントから朝鮮半島を通り伝来したものです。


法隆寺若草伽藍出土の古瓦

馬騎の内廃寺出土の古瓦

 ですから鳴子のこけしの花文様は明らかにエジプト様式の蓮の花の影響を受けています。ですから「菊」ではなく本来は「蓮」ということになり、したがって宗教的用途としての目的のために描かれたもので、もちろん玩具的な用途の発想では理由づけできない文様ということになります。私は日本のこけし研究家、コレクターの中では西田峯吉さんを敬愛していますが、西田さんは古くから数々の著書を書かれています。その一冊である「こけし 伝統と美」(池田書店)の中で重要なことを述べています。
 「山の木地師が、あるとき、子どものためにつくって与えた木の人形がこけしのはじまりだといったようなおとぎ話を信ずる気にはなりません」と。
 西田さんは柔軟な思考を持たれた方で、ご自分の好き嫌いの感情に流されず、非常に冷静なお考えを持たれたコレクターであり、研究者であったと思います。熱狂的なコレクターの中には、何が何でも「こけしが間引きの供養の暗い影を持ったものだなんてとんでもない、こけしは祝いにも使われるかわいい玩具に決まっているではないか」という個人的な感情論に固執しておられる方が多い中で、西田峯吉さんは大変貴重な研究者であったと思います。ただ残念であったのは、西田さんには「こけしの文様」を深く研究される機会がなかったことです。もしこけしの文様に研究が及んだなら、明晰な西田峯吉さんの頭脳は「こけし=間引き供養説」に傾いたと思います。
 この鳴子の数々のこけしの花文様は間違いなく古代エジプトの蓮文様が各地に伝わり、それが仏教の伝播とともにはるばる日本に伝わった唐草文様だと思います。そうであれば供養される対象に捧げられた蓮文様ということになり、これは「こけし=間引き供養説」に大きく一歩近づけたことになります。この鳴子の古作こけしの唐草文様はいずれにしても亡き人への清らかで神聖な捧げものであることに変わりはありません。一般に「重ね菊文様」とされる肘折や山形のこけし、蔵王、遠刈田のこけしに見られる美しい花文様がこけしの胴体の前面、上から下まで一杯に描かれていることを素直にご覧になれば、その多くの花が供養のもの、献花された蓮の花であるとおのずから理解されるに違いありません。


鳴子こけしではありませんが、津軽こけしの村元文雄さんの昭和44年作
これは完全な唐草文様の作品です。

こけしを調べながら本原稿執筆中の筆者

次回8回目は「肘折(ひじおり)」(山形県)のこけしについてお話いたします。
肘折こけしの写真(巳之助こけし)


佐藤巳之助の古作こけし
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