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インターネット公開文化講座

文化講座

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東北こけし紀行

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

こけしの謎を解く 4


地蔵菩薩の救済(六道珍皇寺所蔵)

地蔵型こけしの数々:最前列3本間宮明太郎作、
後列右4本間宮正男作、残り(左5本)野地忠男作

 浄法寺では魅力的な古い漆と現代の漆作品、平安時代を中心とした天台寺の古仏、ならびに地蔵信仰について見てきました。
 今回は浄法寺から南下して花巻温泉のこけしである素朴な「きなきな」と呼ばれるこけしと何とも不気味な名前を持つ「闇夜(やみよ)」という名のこけしについて考えてみたいと思います。

 
左・宮沢賢治記念館 右・賢治の愛した花巻の風景

 花巻は古くから湯治場として名高いばかりでなく、高村光太郎(1883年~1956年)や宮沢賢治(1896年~1933年・37歳没)ゆかりの地でもあります。アトリエや彼らにまつわる関連施設を訪れる人が後を絶ちません。明治・大正・昭和に活躍した天才的彫刻家、高村光雲(1852年~1934年)の息子、高村光太郎といえば、十和田湖のブロンズ像「乙女の像」といった作品の他、彼の妻に関する詩集「智恵子抄」でも有名です。一方、宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」など数々の名作を生み、花巻というより岩手県を代表する作家として知らない人はいない存在です。私も幼い頃、叔父から「風の又三郎」を朗読してもらった思い出があります。今回は「宮沢賢治記念館」に立ち寄って、賢治にまつわる品々を見せていただきました。ここでは、法華経の深い信奉者であり、農業改革者でもあった賢治の両側面が見られます。売店には今日訪問する、煤孫盛造(すすまごもりぞう)さんの「賢治型こけし」が並んでいました。


煤孫盛造作「賢治型こけし」帽子をかぶり野を歩く賢治の姿を表している。
 
煤孫盛造さんの賢治型こけしの製作風景

 この記念館に向かう坂の入り口の近くに煤孫盛造さんの工房があります。前もってお電話で伺う旨をお話してありましたが、朝早くは原木を伐採しに出ているからということで、10時過ぎに訪問しました。
 煤孫家では、煤孫茂吉から実太郎、盛造さんへとこけしが伝えられてきました。「きなきな」というこけしがそれです。彩色のない地蔵型というか原初的ヒトガタ、シンプルそのものの造形です。私はその微妙な曲線の美しさにとても惹かれます。いわゆる南部こけしの一ジャンルですが、この姿を最初に見ていただきましょう。




美しい「きなきな」3本 上・煤孫実太郎作、中・松田精一作、下・佐藤一夫作

 「きなきな」はその絵の具が塗られていない姿と、木の素地そのものであることから、まだ歯の生えてこない段階から歯を丈夫に育てる、幼児の木製おしゃぶりとされています。
 しかし、この姿はヒトガタそのもののように思えます。原初の姿をそのまま表しているようです。もちろん後世に「おしゃぶり」としての役割が与えられたとしても、それにはまったく異論がありません。しかしこれは初源の姿である「ヒトガタ」の形、そのものです。木地師が轆轤で作る最初のヒトガタの姿、実太郎さんのキナキナは帯をかなり上に締めている姿から、女の児のイメージが強くします。そこに眼鼻を描いて彩色を施していけば「こけし」になる訳です。前回の地蔵菩薩の原型、いわゆる地蔵型こけしの原型とも思われる姿です。どんなヒトガタも、人形もここからスタートするはずです。煤孫盛造さんの別のこけしには、前回考察した頭上のリング、私の考えでは頭光背が描かれ、更に体全体を巻く輪線文様が全身に描かれています。これは他の産地のこけしにも、特に土湯系こけしに多く描かれますが、この輪は一体何なのでしょうか。


煤孫盛蔵さんの彩色輪線文こけし

 それを考えるのに大変参考になるのが「闇夜」こけしです。最初に「闇夜(やみよ)」と聞いたときは驚きました。こけしにそんな不気味な名称があること自体、不思議ですが、いろいろ考えると、むしろ不思議ではないのです。前回の地蔵菩薩の役割を思い出してください。釈迦入滅後、1500年経過すると末法、末世の時代になり、キリストも罪のない人間はいないというように、救済される見込みのなくなった人々は地獄の暗闇に迷い、賽の河原で苦しめられたり、火焔地獄、剝肉地獄、糞尿地獄、計量地獄などで責め苦に合うといいます。その様子を描いた絵が平安後期から鎌倉前期に描かれた「地獄草子」「餓鬼草子」なのです。すべての人は罪深き「業」というものを負っているといいます。ですから藤原道長の時代あたりから、死ぬと仏教の教えが滅んでしまっている訳ですから阿弥陀仏の救いもない暗闇の世界をさまよわねばなりません。これが末世の世の中なのです。56億7000万年後の弥勒菩薩の出現まで、救いはないのです。しかしそれではあんまりだと登場を願ったのが地獄で仏とされる「地蔵菩薩」でした。賽の河原で鬼に苦しめられている子供の霊を救うのも地蔵菩薩でした。(巻頭写真参照)地蔵型といわれるこけしの型もそこに意味の由来があるのでしょう。


「闇夜こけし」山形・小林清作

佐藤武志さんの「闇夜こけし」2本 多い方は輪が12本もあります。

 そこで「闇夜こけし」を見ていただきましょう。佐藤武志さんと小林清さんの作品が私の手元にあります。私はこういう作品を見ると、深く感動するのですが、その技術には非常にレベルの高いものが見られます。驚きのものです。こけしの胴体が深くえぐられると同時に輪が何本も胴体に削り残されるように製作されているのです。決して後からは入れられない、はずれない輪が胴体に「遊環(ゆうかん)」のように上下するように削り残されているのです。高い技術の裏付けがないとできません。こういうこけしを「闇夜こけし」といいます。胴体に輪がいくつかついているのです。この残された輪は一体何を意味しているのでしょうか。どうしてこのようなこけしが作られたのでしょうか。

 私は陶磁器や仏像を拝観するのが好きですが、ここで思いだすのが知多半島の常滑や渥美半島で平安時代後期から鎌倉時代に製作された「三筋壺」です。この三筋壺は仏教的な目的、すなわち骨壺、あるいは経塚壺として製作された作品であるということは今では定説になっています。

 
 
上段2点は常滑の「三筋壺」平安時代後期
下段左は猿投の三筋壺(伝・東大寺二月堂裏山出土)
下段右は古瀬戸四耳壺(鎌倉時代前期) 輪は五輪の思想の影響か

 三筋壺とは、胴体に三本の線が描かれている壺のことをいいます。前述のように平安時代から鎌倉時代は仏教が滅びる時代といわれ、人々は恐れおののいていました。豊かな貴族たちは仏教が滅びると極楽往生がかなわなくなるので、仏教がなくならないように仏典や仏具、仏様、経典を壺に入れて聖なる地中に埋納し「経塚」として56億7000万年後の弥勒菩薩に伝えようと考えたのでした。そうしたいわゆる功徳のために製作されたのが外容器としての経塚壺、すなわち「三筋壺」だと推定されています。下の図のように、お経を入れた経筒を保護するためにかぶせたのです。つぼの口部分を入れて壺を五つ、地、水、火、風、空に区切ったのではないかと推定されていますが、やや無理があるようにも思えます。


中野区新井薬師寺の五輪の塔 (①空輪、②風輪、③火輪、④水輪、⑤地輪)

 すなわち地・水・火・風・空の五輪の思想を表現したのだといわれます。世の中は地(大地)、水、火、風、空間(空)の五つに分けられると当時は考えられていました。五輪の塔という平安・鎌倉時代からのお墓の石塔がありますが、その世界を表しているといわれます。


左・漢時代の緑釉壺と右・朝鮮・新羅時代の高坏

 また私のところにある中国の漢時代の緑釉壺や朝鮮・新羅時代の高坏(写真)も副葬品とされるものが多く、現在あるものは大半が副葬品としての出土品です。すなわち仏教であるかないかは別として、葬送の時に埋葬された品物ということになりますが、その出土品の壺や高坏にも何条かの横線文が認められるケースが大半です。「輪」という概念には一つの共通した方向性が見られると思います。
 中国古代の良渚文化(りょうしょ文化:紀元前3500年~紀元前2200年頃の中国長江文明の一文化とされる。1936年に浙江省の杭州市良渚で発掘された。)の玉器に、穴(輪)のあいた形、琮(そう)型玉器がありますが、それはこの世と天をつなげる空間を持つとされ、異次元の空間への入り口とも解釈されます。


玉琮 中国良渚博物館蔵

 輪は穴でもあり、異界、結界、命の源である母体のイメージ、子宮に戻ることにより、人間は再生すると考えられた歴史はエジプトにさかのぼります。また日本でも古くは山梨県の縄文時代の釈迦堂遺跡博物館にはバケツを深く細くした形に近い深鉢型土器の底に5センチほどの穴のあいたものがたくさん並んでいます。それは子供の遺体を逆さまにして埋葬した事例として有名です。すなわち母体に擬した壺に戻すことによって、母なる母体から再度産まれることを祈念したのです。骨壺の壺は単なる容器ではなく、再生と復活の意味を持っているのです。穴は現世とあの世とをつなぐ聖なる出入口なのです。縄文遺跡に見られる環状列石や瓦の重弧文、鏡の重弧文(写真)などにその事例がみられ、すべて宗教的な意味が見て取れます。


重弧文の鏡(古墳時代の青銅鏡)

エジプトのファラオ、ラムセス2世の重弧文の王冠

朝鮮・新羅時代の重弧文盃

 穴(輪)は天と異界に通じるという、天とは人知の及ばない世界、未知の世界であり、死の世界でもあります。輪をくぐるということは、新たなる世界に生まれ変わる、再生する、浄める、穢れを祓う、罪を清める、そうした人の命の更新、再生、復活という祈りが込められた世界なのではないでしょうか。
 そうしたことから私は「輪」をくぐるという考え方、日本の古来からある宗教儀式である「茅の輪くぐり」に見られる神事に、そうした宗教的意味を考え合わせています。


神戸・生田神社の茅の輪くぐり (同神社ホームページより写真転載)

 多くの神社では古来「茅の輪くぐり(ちのわ)」が行われます。ちなみにインターネットのウィキペディアで調べてみると、氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うものであるとされています。『釈日本紀』(卜部兼方 鎌倉時代中期)に引用された『備後国風土記』逸文にある「蘇民将来」神話では茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられてきたとあります。「蘇民将来」神話は素戔嗚尊(すさのおのみこと)に起源を持つとされており、平安時代以前から伝えられているので、私はこの三回の祓いの神事の形が三筋壺の形に伝えられているのだと思います。それはまたこけしの「闇夜」の形にも輪くぐりとして伝承されているように思うのです。間引きという暗い死の穢れ(闇夜)を祓い、茅の輪の霊力で子供の除災と冥福と再生・復活を祈ったものであると私は考えます。常滑や渥美の三筋壺は「骨壺」でもあった訳ですが、それもこうした茅の輪くぐりの輪の力を導入して骨壺の中の被葬者の除災と冥福、復活・再生を祈ったものではないでしょうか。三筋の三という数は、先ほどの茅の輪くぐりを八の字を描きながら三回くぐるという三もそうですが、聖なる数といわれ、三重の塔や三尊仏などの形式に応用された数で、キリスト誕生時の東方の三賢人の礼拝も三が使われています。


釈迦の誕生時の三供養者の礼拝 (東京国立博物館蔵)
が誕生する釈迦

 土湯こけしに見られる「輪線文様」もこうした「輪」の一つの表現様式であると考えられます。輪は無限の空間を切り取った形であり、それは相撲の土俵のように結界でもあり、異空間、異次元への入り口、一つの領域、世界でもあるのです。

 煤孫家に伝わる伝統こけしは描彩のない素朴な「きなきな」ですが、それは「ヒトガタ」としてもっとも原点の形といえます。またすらりとした形はまさに霊の典型的な形といえるものによく似ていますし、美しい形です。胞衣吉(えなきち)型こけしの形にもよく似ています。


ヒトガタを思わせる胞衣吉(えなきち)型こけし 鈴木清作

 もともと足のない姿は幽霊ですが、そうした最小限の小さな台がついているこけしはもともと霊の姿を表そうとしているように思えてなりません。上記の佐藤一夫さんの「きなきな」の形が最もその原型のように思われるのです。私も並べてあるこけしをよく倒すのですが、一つ倒すとあたかもドミノ倒しのように連鎖的に倒れてしまいます。それはこけし全体が倒れやすい形にできている、すなわち頭が大きく、胴が細い姿、不安定こそがそのおおもとからの考えだったとも考えられます。津軽には立たないこけしもあるといいます。立たないこけしとは何なのでしょうか?それはまさにヒトダマ、足のない霊の姿に他なりません。

 さて次回は素朴な秋田県の川連と木地山こけしについて考えてみたいと思います。

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