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東北こけし紀行

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

こけしの謎を解く 9 「山形のこけし ・蔵王・遠刈田山形のこけし」


蔵王山火口付近の賽の河原

蔵王山の地蔵菩薩群

山深い蔵王連山は昔から出羽三山と並ぶ山岳信仰の山でした。前回の肘折こけしでふれた月山もそうであったように、日本では古来、深い山への信仰が全国的にみられます。それは現実的な神々しい自然の力と、観念的な人間の精神的背景をなしている「死後の世界」とが一致した世界が、日常性から隔離された神域、すなわち深い木々に覆われ、時に白銀の世界に豹変する高山であったからなのです。それはチベットにおけるヒマラヤ信仰である金剛界と胎蔵界の両界曼荼羅の世界と共通する世界観といえます。


ヒマラヤの神々が住むという荘厳な世界

日本では縄文という世界最古を誇る土器と漆のすばらしい文化があり、以来自然を大切にし、その変化と四季のサイクルが人間の生き様に大きく関係してきました。安土桃山時代に外来宗教であるキリスト教を許容する以前まで、この自然を中心とした文化が続いてきました。江戸時代の人々は徳川政権の元、本来のおおらかさと自由さをやや失いつつ儒教教育の中で堅苦しい教育を受けて過ごしましたが、それでも相撲や歌舞伎を愛し、旅と温泉を楽しみ、身の丈に合わせた生活を送っていました。
しかし、天候異変は彼らのつつましい生活を直撃し、そこに火山の噴火やそれに続く冷害そして大飢饉など、思いもよらぬ偶発的自然現象に長く悩まされてきました。生きてゆくことの苦しさ、明日の食事に事欠く深刻な生活、口減らしのために母親を山に遺棄する姥捨て、生まれて間もない女児の間引きなどはまさに地獄絵図さながらの生活であり、我々には到底想像すらできそうにない世界です。そうした苦しい生活の最後の拠りどころ、すがりどころが宗教であったことは間違いありません。先祖・祖父母の霊が安住しているであろう白い雪に覆われた山々を遥か遠くから眺めるにつけ「浄土」という世界へのあこがれが強くなっていったのではないでしょうか。現世が苦しければ苦しいほど、その憧れは強くなっていったことでしょう。
親鸞の「悪人正機説」とは、悪人、すなわち無力でありながらも罪を悔いて阿弥陀如来にすがる人は、寄進などで極楽往生をめざす人たち、すなわち善人より極楽往生は間違いないと言い切った説ですが、それはまさに現世で罪を犯し、その罪を悔い阿弥陀仏にすがる人たち、すなわち「悪人」である農民たちには涙が出るほどありがたい教えであったに違いありません。親鸞は「南無阿弥陀仏」と唱え、ひたすら阿弥陀如来におすがりすれば極楽往生間違いなしと言ったのです。それは貧しい農民たちに閉ざされていた極楽往生の道を約束してくれたありがたい教えでした。死後の極楽往生は、現代人が考える以上に遥かに切実であり、農民たちの真剣な願いであり、精神的拠りどころとなったのです。

蔵王の山中には地蔵菩薩を祀った地蔵堂と賽の河原があります。こうした大変な山奥にまで人々は登ってきてそして現在の蔵王温泉や遠刈田にいた木地師にヒトガタであるこけしを作ってもらい、賽の河原で先祖の霊や、水子、間引きされた亡き女児の霊を弔ったと考えられます。その生まれたにもかかわらず命を落とした女児の幼い魂は、遠刈田こけしの頭部に面影を宿していると考えられます。


秋保こけしの乙字

秋保温泉こけしに「乙」字の書かれたこけしがありますが、漢和辞典や広辞苑などで調べてみると、乙の字はジグザグな形をかたどったもので、土に撒いた種から出た芽が地上に出ようとして曲がりくねった状態に陥った意味があるそうで、これは意味深いものといえます。


山形・蔵王遠刈田のこけしに見る乙字変形文様ないしは蛇文様

他の山形・蔵王のこけしにみられる赤いクネクネはそうした乙字が変化し、装飾的になったものと推定できます。あたかも母親から生まれた子供のその後が多難であることを告げているようです。これはもう一つ、ツタンカーメン王の頭蓋骨に被せられた薄手の帽子の上にビーズなどで刺繍された蛇状装飾によく似ています。


Griffith Institute, University of Oxford

縄文以来の蛇の霊力は世界的な広がりを持ち、それについては以前にも述べましたが、エジプトを代表する蛇はコブラで猛毒を持った神秘的動物です。細い体で大きな動物に立ち向かい、それを一撃で倒す力を持っているのですから、古代の人たちは驚いたことでしょう。また蛇の交尾は8時間から9時間に及ぶため、古代人たちはその持つ力を畏れたのです。さらに蛇は脱皮することによって大きく変身します。そのことから再生復活のシンボルとなりました。それが唐草文様に変化したことも述べました。そのように蛇は再生復活の神のような動物となったのです。再生・復活、それが遠刈田こけしの頭部文様の意味ではないかと考えます。生まれて間もない、短く不幸に終わった女児の来世を祈ったのです。

さらに頭部の文様に注目しましょう。


遠刈田こけしの頭部

中国の金銅仏に見る光背 76頁(中国歴代紀念仏像図典・北京文物出版社刊より転載)

私の所蔵品に二つのこけしが丸い板に2体付けられている掛け仏風の作品があります。これの裏には山形の吉野屋謹製とスタンプが押されています。それは秋田、湯沢に伝わる「百万遍」の数珠と同じように、こけしの源流にさかのぼる貴重な遺品の一つといえます。似たものに中国の北魏時代の金銅仏で夫婦の供養に使われた二尊並坐像があります。この二尊並坐像と山形の二尊こけしは同じ目的で作られたものと思われます。円形の背板は鎌倉期、室町期の掛け仏に似せて作られたためと考えられます。こうした遺品があるということは「供養」という概念が山形こけしにはあったため作られたものといえると思います。

また以前から興味を抱いていたのが「前髪」です。偶然ですがR・パール著「仏教メソポタミア起源説」という本を読んでおりましたら、この火鉢の灰ならしのような形をした文字に出くわしました。そこで思い浮かんだのがこけしの前髪の形です。この絵では曲がっていますが、お釈迦様のお墓であるスツーパは曲がっていません。真っすぐです。


掛け仏風の二尊仏

すなわちブッダのお墓の形を古代象形文字にしたもののようです。釈迦の死後にできた文字と考えられます。こうした形は珍しく今のところ類似のものはありません。


スツーパまたは涅槃(生と死の執着から解脱した境地)を意味する
文字と頭の前髪の酷似したデザイン

涅槃とは、悟ること、生と死の執着心のない世界、さらにそこから静かな死の世界に入ることを意味しているとされています。
こうしてみると、こけしは仏教の影響を強く受けていて、供養品として誕生したことは間違いないと思います。こけしは女児だけを対象としており、男児がおりません。また何故に仏教の様式がかくも多く描かれているのか?そうしたことからも男児のこけしがないことからも決して祝いのものではありえなかったということがはっきりしてきました。


スツーパ
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