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インターネット公開文化講座

文化講座

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私の茶寄り合い

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

日本文化を愛した洋服屋・故鳥居功冶

鳥居功冶師は洋服の「トリイ」の会長であったが、昨年末に昇天。師は洋物を生業としていたが、日本の文化をこよなく愛し、親しんでいた。

出身は西尾市で、その地域は抹茶や濃茶となる碾茶の生産量が我が国でトップにある。私は西尾の隣、碧南市の出身だから、兄のように親しみ、直心の会話を楽しんだ。

師は自らが観世流の関根祥六師について能を舞い、謡っていた。また、名古屋市の能楽殿設立やその後についても著しい努力をしていた。横笛は藤舎名生師についたこともある。名生師を私に紹介してくれもした。

日本画に親しみ、コレクションも行っていた。白描的な絵を好んだ。小山硬師の能画の屏風を欲していたが残念ながら途中となってしまった。私の抽象表現主義的な日本画も良く理解していた。代表作的と言っても良いような二点を所持してくれた。

陶器趣味では加藤敬也師の作品を好んだ。特に粉引き風素地的な湯飲みで、飲み口に近い部位に呉須による心憎いような線描のある小ぶりの茶碗を愛用した。

功冶師は煎茶や玉露を好んだ。師自身が点てることも好きで、こだわりを持って丹念な点て方をするのが常だった。人が点てる場合でも、茶葉の種類、味、温度にも強い意見を持っていた。そうした中で、前述の敬也師の湯飲みで飲むことを最上とした。

政治では御用聞き的政治家とは区別して、功冶師が理想とする社会を実現してくれるような志を持った人物を好んだ。民主党衆議院議員の若い古川元久師を可愛がっていた。無駄、傲り、諂いが無く、問題点をはっきりさせながら解決しようとする姿勢が好きだったのだ。清水庸一娘婿にも類似の可能性を認めて喜んでいた。師も私も、こうした素養のある若い人達を好む点で一致していた。閉鎖集団の中で自立性のない人間が大嫌いだった。

師が洋服文化を追求する中で、「トリイ」の明確なオリジナリティーある洋服の確立を目指していた。日本文化に内在する世界に通用する普遍性に注目をして、独自のブランドを創造しようとしていた。道半ばなのを何よりも残念がっていたのだ。清水夫婦が実現してくれることを念じていた。

功冶師のように西欧文化由来を生業としながら、日本文化を理解し、愛する人は私の茶寄り合いには不可欠だ。俗にあって脱俗した人物がよい。

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