愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

私の茶寄り合い

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

日本画家・小山硬

茶寄り合いには床の間に相当する場が重要だ。今日的に言っても、象徴的な意味を持つ。そうした場所では絵画や書が肝となる。茶寄り合いに参加する人達にその日の主旨、テーマを提示するものだ。目的にぴったりの絵のみならず書を描く師として、白描の大家・小山硬画伯がいる。

師の作品には、まず、「気品と尊厳」がある。「気韻生動」ある線描、「たらし込み」の技法、「空間や間」は人々を高貴な異空間に導く。つまり、日本文化の粋と言える。

歴史的に見て、私は「松林図屏風」の長谷川等伯、「枯木鳴鵙図」の宮本武蔵、「風神・雷神図屏風」の俵宗達、異空間の超人たる葛飾北斎が好きだ。小山師には共通する美がある。

赤瀬川原平氏が「芸術原論」で日本画は絵の具の固まりを見るような絵ではなく、ハッとしてドキッとする新しさ、心静かに日本刀でスッと描いたような絶対に失敗の許されないような「一回性の緊張」感があるものでなければならないと言っている。

小山師の絵は、まさに、それだ。水墨画が墨の濃淡により表現されるように、金泥、白金泥、群青に紫黒が加わったような絵の具等を用いた小山師の単彩画に美の極みを感ずる。書も同様の味がある。線描、たらし込み、片ぼかしと言う日本画特異な技法を用い、一回性の緊張と息づかいを感じさせる。また、空間と間は人間が生きるための哲学を考えさせる。見る人達の志を高いものに導くのだ。日本画の世界にある普遍性ある芸術性を提示する。国際社会に向かっては、エコノミックアニマルでない日本の発信となる。

隠れキリシタンに題材を求めたもの、「嘉峪関幻想」に見る東洋歴史画、能に関連する画、動物や魚、いずれをとっても、「気韻生動」、「気品と尊厳」にあふれる。

今の日本画界では、こうした最も日本画らしい日本画の作品を下絵やスケッチ扱いとする。そして、芸術的価値とは無関係に本画と称する絵の具の厚塗り画に比し、安い値段にしか評価しない美術界が情けない。

失敗を許さぬ「一回性の緊張」が基本の白描こそ、技量のみならず、内包する作家の芸術性を表現する最も日本画らしい作品なのだ。つまり、今日、巷に氾濫する習俗的な「ごまかし」のある世界ではない。

それ故に、「市中の山居」にあって、小山師の白描や書は直心の人間関係に基づく茶寄り合いにぴったりなのだ。

このページの一番上へ