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インターネット公開文化講座

文化講座

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喫茶と時代変化

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

ニューノールマ時代のお茶―2 喫茶・お茶は生活文化

 私たちはお茶文化と言えば、まず、抹茶文化を思い浮かべます。
 しかし、私は一般庶民の日常的なお茶文化の方が共食文化として重要だと思っています。
 抹茶文化は室町時代以後に武家社会を中心に遊興を兼ねた飲食文化として発展したのです。
 そして、戦国時代から安土時代にかけて、堺の豪商たちが中心の政商として織田信長や豊臣秀吉らの天下人と結びついて今日の茶湯文化や茶道が形づくられました。
 信長が軍功に土地を与える伝統を変えて、茶道具を与えて「付加価値」をつけました。
 利休は信長のアイディアに注目して茶道具などを「見立て」による"付加価値"を付けたのです。
 今日的に言えば、ビジネスの生産性を上げる付加価値経済バブル経済を発展させた堺の商人であるのが本業だと思っています。
 今日の日本の産業にとっては、まさに必要な人物なのです。
 また、茶道具や点前を国産化したり工夫して生活文化である飲食を総合文化として高めたのだと思います。

 私は権力者や裕福な商人層による抹茶文化より庶民の間でお茶がどのように日常生活のコミュニケーション文化として根付いていったかに興味と関心があります。
 ほとんどの歴史は権力やお金持ち社会を中心として作り上げられています。
 お茶文化も庶民生活で歴史的にどのような意味を持って発展したかは抹茶文化のようには問題になりません。
 私は人間関係を中心に発展した庶民の文化や歴史がどのようであったかが、本当に大切であり、重要であると思ってます。
 いずれの国や地域であれ、地域に根差すグローカル・Glocalな文化が発展します。
 そして、例えば、飲食文化としてグローバル・Globalには世界中の人々と共通する生活文化となります。

 飲茶は日常の文化であり、庶民の間の生活に果たしている役割が大きいと思います。
 つまり、民衆の日常茶飯の生活がどのようであり、お茶がどのように発達して人々の間に広まったかを知る必要があります。
 今日でも「お茶にしよう」と言っても必ずしも「お茶」を飲むことを意味していません。
 休憩やコーヒーなどを飲んだり飲食をとることを意味しているのがほとんどです。
 栄西に始まる抹茶文化とは異なった、より古い歴史を持つ生活文化として民衆の間で"お茶の意味"、飲食や人間関係の喫茶文化として広まっていたのです。

 例えば、平安時代では弘法茶と言われるマメ科のカワラケツメイが"お茶"として広く健康に良いとして飲まれていました。
 また、狩りや山仕事をする人たちが山中で山茶を切り取ってスープや飲み物としていた可能性もあるのです。
 弘法茶のような豆や薬草などの飲み物としてや"薬"として愛用されていた茶はいつの頃からか民衆が茶葉を中心に日常の飲み物として用いるようになりました。
 今日では、"カテキン類とビタミンC"が中心の飲み物がペットボトル飲料として広く"お茶"として普及しています。
 一方で、農耕などでの仕事の合間の飲食としての茶も今日に続いています。
 また、村人や女性が自分たちの集まりでも茶が楽しまれていたのです。
 私は、特に、それぞれの地域に根差した地域の人たちや女性たちが囲炉裏を囲みながら楽しんだお茶文化が大好きです。

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