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マモさんの里山講座

里山研究家 吉澤 守(ヨシザワマモル)

里山をめぐる小さな旅

物質文明が浸透しきった感のある都市の生活は、"物"を消費する豊かさを甘受することができる反面、人間性を支えるもう一つの柱である"心"を犠牲にしてしまうことがしばしばあります。
"物"と"心"が都市の生活で充分に満たされているとしたら、都市の暮らしも捨てたものではないのですが、"心"を求める人々があまりにも多くなってきている現状からすると、物と心、あるいは都市という人工的空間と都市郊外に広がる自然空間の関係をもう一度考えてみる必要があるでしょう。
里山が、かけがえのない自然空間として人々に受け入れられてきている背景には、"心"の場としての機能がそこにあるのではないかと期待をされていることがあると考えます。

休日のある日、里山に足を運ぶことを想像してみてください。
そこに行くだけでホッとして、心の底から安らぎをおぼえる、そんな里山はどんな風景でしょうか?
海の見える段々畑のある風景でしょうか?
豊かな流れの渓流のある風景でしょうか?
それとも、昔話に出てくるような、まん丸い山の麓に建つ大きな屋根の家のある風景でしょうか?
里山は、それを求める人々の、一人ひとりの心の中に存在するものですから、絶対的な定義らしいものはありません。あなたが頭の中でイメージする里山に出会うことができたら、たとえそこが近くの裏山のようなところであったとしても、それはあなたとっての「里山をめぐる小さな旅」の始まりとなるのです。
できればその場所には何度も訪れて、四季を経験して欲しいと思います。雨の日も、冬の凍てつく日も行ってみることをおすすめします。真実の里山がそういう日にこそあって、意外な美しさに触れることができるのもそんな時です。
夕焼けを見るならこの場所、里を見るなら、野鳥のさえずりを聴くなら、持参したおにぎりを食べるなら等々、「里山をめぐる小さな旅」はだんだん深まっていきます。里にはどんな人達が住んでいて、どんな歴史や暮らしの模様があるのか、里の人に聞いてみるのもいいかもしれません。
里山は、車の窓から通りすがりに接するよりも、自らの足でのんびりと歩きながら、五感を全開にして感じることをおすすめします。

里山。そこには、観光地のような賑わいも、揉み手で迎えてくれるようなサービスもありません。あるのは在り来たりた自然の姿とそこに住む人々のありのままの姿ですが、そこにはこれが旅だという実感があります。

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