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里山研究家 吉澤 守(ヨシザワマモル)

里山の森[II]根上り松(ねあがりまつ)の教訓

日本には、昔から自然を題材にした教訓が多く残されています。その中で、江戸時代に盛んに言われた、松にまつわる話を紹介しておきます。

結婚式などで、めでたい事をあらわす「高砂」という言葉が用いられます。「高砂や」という一節にも出てきますが、高砂とは、人生で何事があっても、人は元の姿に必ず戻っていく(つまり、めでたいところに納まる)という意味をあらわします。高砂の松というのは、芽が出てから、いろいろな風雪に出会って幹が曲がっても、頭の部分は根元と同じ場にある姿のことを言っています。江戸城の高座の襖絵に、狩野派の絵師が画いた高砂の松は、あまりにも有名です。

見越しの松という言葉を、ご高齢の方ならよく耳にされてきたと思いますが、その意味を知る方にはあまりお目にかかりません。見越しの松とは、庭に植える松の様式のことですが、下枝から二番目の枝を壁の外側にわざわざ出します。そういう植え方や枝づくりの方法のことをいうのですが、深い意味が込められています。
壁に囲まれた屋敷の中では、世の中の動向を見失うことがあります。その事を松に託して、壁の外を歩く人々の動きや流行現象、人々の噂や不平不満など、世の中のさまざまな動向に常に注意をしておくようにという教訓を、庭に植える松の木を通じて教えようとしたものです。

松と<待つ>を掛けた教訓もあります。<根上り松>という教えです。
<値上り待つ>という言葉に掛けたものですが、値上りとは、自分の価値を上げるということをさしています。松は、浅根性という性質をもった陽木に分類されますが、浅根性の木は、根が地面からむき出しになったような状態のときに勢いがよく、逆に、根が地面の下に隠れているような状態のときには樹勢は低下していきます。
松を枯らすようでは、家や商売を絶やしてしまうおそれがあって、自然や人の節理を知っていれば、生き物をダメにすることはなく、それが繁栄を続けるもとになる。そうしてだんだんと人の価値が上がっていくものだということを根上り松は教えています。

現在、日本の森の松は、そのほとんどが根被りという状況にあって、著しい樹勢の低下を招いています。松自身が毎年落とす落ち葉によって、根に光や空気が当らない、あまり良くない状態にあります。
昔は、松の落ち葉は最高の堆肥として田や畑の肥料に使われていましたが、今はそれを使う人はほとんど見掛けなくなりました。
松葉をかくことをこの地方では<ごうかき>と呼びます。<ごうかき>を甦らせれば、その副産物として秋の味覚の王様<まつたけ>も再び森に甦ってきます。

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