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「イタリア世界遺産の旅」と「誰でもわかるイタリア語」

石黒 秀嗣

ローマ歴史地区(Centro storico di Roma)
その1 古代ローマの遺跡:コロッセオ(Colosseo)とコンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Costantino) 1980/1990年登録


スケッチ画 樋口佳代

コロッセオ(Colosseo スケッチ画):
 ローマといえば古代遺跡。その中でも最も代表的なものが「コロッセオ」、イタリア語では「コロセッーオ」(Colosseo)と発音します。外壁の高さ50m、長径188m、短径156m、周囲が527mの楕円形で5万人を収容することができました。ここはもともと暴君ネロ帝の黄金宮殿(Domus Aurea)の中庭に人工池があったところで、そこにウェスパシアヌス帝が75年工事に着工し、息子ティトゥス帝(Tito)により80年に完成しました。落成を祝った式典では、100日間も続き、2,000人の剣闘士と9,000頭の動物の命が犠牲となったそうです。ウェスパシアヌス帝の家系の名前を取った「フラヴィウス円形闘技場(Anfiteatro Flavio)」が正式な名前で、コロッセオと呼ばれるのは中世以降のことです。名前の由来は、その傍に暴君ネロ帝の金メッキを施した35mの巨大なブロンズ像が聳え立っていたためとされています。コロッスス(Colossus)はラテン語で「巨大な像」を意味したところから呼ばれるようになりました。
コロッセオ内部はすり鉢状の底が楕円形の闘技場で、剣闘士たちが命がけで戦うショーが行われていました。人の血が流されるのに興奮し狂喜しながら観戦していたのです。重傷を負った剣闘士の運命は、観衆に委ねられ、皇帝が親指を上に向ければ生を、下に向ければ死を意味し、勝者はたちまちヒーローになりました。
中央には大きな十字架が架かっています。初期キリスト教徒の多くの血が流された殉教の場所として伝えられています。ローマ帝国が滅亡し、コロッセオも時代と共に廃墟化が進み、1349年の大地震により一部が崩壊したり、他の建造物を造るためにコロッセオの石材が利用されたりしました。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂もコロッセオを採石場として建設されました。そして新しいローマが誕生し、ローマ・カトリックの総本山としてヨーロッパだけでなく世界から、愛を説くキリスト教の中心として甦りました。ローマは世界から愛され憧れる町となりました。ROMAを逆から読むとAMORです。すなわち「愛」を意味する町へと変貌したのでした。

コンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Costantino):
 コロッセオのすぐ脇に立ち、高さが約28mもある、ローマで最も大きくて、圧倒的な存在感と美しさをもつ凱旋門です。この凱旋門はコンスタンティヌス帝が312年にマクセンティウス帝との決戦「ミルヴィオ橋の戦い」に勝利したことと、コンスタンティヌス帝の即位10周年を記念して315年に建てられました。コンスタンティヌス帝は、キリストの十字架のしるしを受けたお陰でこの戦いに勝利できたと主張しています。翌年313年キリスト教の信仰を公認するミラノ勅令を発布します。その後380年テオドシウス帝によってキリスト教がローマ帝国の国教となります。
この凱旋門は三連のアーチをもち8本のコリント式の円柱で支える構成となっています。当時のローマ帝国は衰退の一途をたどっており、建築資材が不足。装飾はハドリアヌス帝の建造物などから取り外して転用するなど、荒業も多くみられます。最上部の碑文はコンスタンティヌス帝の時代のものですが、柱を飾るレリーフや彫像などはトラヤヌス帝の時代のものでトラヤヌス帝のフォロからのダキア人の捕虜の群像が、そして柱の横の円形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝の時代のもので皇帝が蛮族の捕虜たちに謁見している様子などが描かれています。
塩野七生さんは「ローマ人の物語XIII」のなかで、この凱旋門を「パッチワークの凱旋門」と呼んでいます。

■コロッセオのガイドと写真
http://www.romanoimpero.com/2009/09/il-colosseo.html

■コンスタンティヌスの凱旋門のガイドと写真
http://www.romanoimpero.com/2010/10/arco-di-costantino.html

新シリーズ
◆誰でもわかるイタリア語 第17回

このシリーズ「誰でもわかるイタリア語」では、イタリア語の基礎を文法用語に頼って説明することを出来るだけ避け、誰にもわかるようにまとめています。また「単語帳」のコーナーを設けていますので、少しずつ単語や簡単なフレーズを覚えるようにして下さい。

再帰動詞 ~その3~

再帰動詞の使い方について学習しました。今回は、再帰動詞を使った過去形について説明します。

再帰動詞の過去形

 再帰動詞を使った近過去の作り方は再帰代名詞+essereの変化+過去分詞となります。

Mi alzo alle sette.
ミ アルツォ アルレ セッテ
7時に起きる。
Mi sono alzato alle sette stamattina.
ミ ソーノ アルツァート アルレ セッテ スタマッティーナ
今朝、7時に起きました。

注意 近過去の説明で、助動詞essereをとる場合は過去分詞の語尾を主語の性(男性・女性)と数(単数。複数)を一致させなければなりません。上の例文ではalzatoと男性形ですので、主語は男性となります。もし主語が女性であれば、Mi sono alzataと過去分詞の語尾を女性形にしなければなりません。
また主語が複数の場合も同様に過去分詞の語尾を複数形にすることを忘れないでください。

Ci siamo divertiti molto in questa scuola.(主語は男性複数または男女混性)
チ シアーモ ディヴェルティーティ モルト イン クエスタ スクオーラ
私たちはこの学校では大変楽しかった。
Maria e Carlo si sono sposati il mese scorso.(主語は男女混性)
マリーア エ カルロ シ ソーノ スポザーティ イル メーゼ スコルソ
マリアとカルロは先月結婚しました。
Anna e Rita non si sono svegliate mai in tempo.(主語は女性複数)
アンナ エ リータ ノン シ ソーノ ズヴェリアーテ マイ イン テンポ
アンナとリータは時間通りに目を覚ましたことがありませんでした。

■再帰動詞を使った近過去の例文

1. Mi sono lavato/a le mani prima di mangiare.
ミ ソーノ ラヴァート/タ レ マーニ プリマ ディ マンジャーレ
食べる前に手を洗いました。
2. Lucia si è tagliata un dito con il coltello per il pane.
ルチーア シ エ タリアータ ウン ディータ コン イル コルテルロ ペル イル パーネ
ルチアはパンナイフで指を切った。
3. Angela e Luisa si sono incontrate dopo molti anni.
アンジェラ エ ルイーザ シ ソーノ インコントゥラーティ ドーポ モルティ アンニ
アンジェラとルイーザは何年も後に会いました。
4. Voi vi siete fidati/e troppo di quella persona.
ヴォイ ヴィ シエーテ フィダーティ/テ トゥロッポ ディ クエルラ ペルソーナ
君たちはあの人のことを信頼しすぎた。
5. Ci siamo vestiti/e elegantemente e siamo andati/e ad una festa.
チ シアーモ ヴェスティーティ/テ エレガンテメンテ エ シアーモ アンダーティ/テ アドゥ ウーナ フェスタ
私たちはおしゃれして、パーティに行きました。

従属動詞 + 再帰動詞の過去形

前回従属動詞+再帰動詞で説明したように、再帰代名詞(mi, ti, si, ci, vi, si)を従属動詞の後ろに置く場合と前に置く場合の二通りあったことを思い出してください。

A. 従属動詞の後ろに再帰動詞を持ってくる場合
従属動詞が強められ、従属動詞を過去にすると考えてください。その場合は助動詞avereをとります。

Noi dobbiamo alzarci presto.
ノイ ドッビアーモ アルツァルチ プレスト
私たちは早く起きなければなりません
Noi abbiamo dovuto alzarci presto.
ノイ アッビアーモ ドブート アルツァルチ プレスト
私たちは早く起きなければなりませんでした。

B. 従属動詞の前に再帰代名詞を置く場合(過去形では一般的によく使う形)
再帰動詞が強められ、再帰動詞を過去にすると考えてください。その場合は助動詞essereをとります。essereをとる場合は過去分詞の語尾を主語の性と数に一致させてください。

Noi ci dobbiamo alzare presto.
ノイ チ ドッビアーモ アルツァーレ プレスト
私たちは早く起きなければなりません
Noi ci siamo dovuti/e alzare presto.
ノイ チ シアーモ ドブーティ アルツァーレ プレスト
私たちは早く起きなければなりませんでした。

■従属動詞と再帰動詞を使った近過去の例文

1. Margherita si è dovuta alzare presto (=ha dovuto alzarsi) per prendere il treno.
マルゲリータ シ エ ドヴータ アルツァーレ プレスト ア ドヴート アルツァルシ ペル プレンデレ イル トゥレーノ
マルゲリータは列車に乗るため早く起きなければなりませんでした。
2. Sandro ed io ci siamo voluti fermare (=abbiamo voluto fermarci) a Firenze.
サンドロ エドゥ イーオ チ シアーモ ヴォルーティ フェルマーレ アッビアーモ ヴォルート フェルマルチ ア フィレンツェ
サンドロと私はフィレンツェに滞在することを望みました。
3. Ieri Carla e Giulia non si sono potute vedere (=non hanno potuto vedersi) in centro.
イエーリ カルラ エ ジューリア ノン シ ソーノ ポトゥーテ ヴェデーレ ノン アンノ ポトゥート ヴェデルシ イン チェントゥロ
昨日カルラとジューリアは町で会うことが出来ませんでした。

単語帳

曜日について

lunedì[ルネディ]
martedì[マルテディ]
mercoledì[メルコレディ]
giovedì[ジョヴェディ]
venerdì[ヴェネルディ]
sabato[サーバト]
domenica[ドメーニカ]
月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
土曜日
日曜日
短縮形(lun.)
短縮形(mar.)
短縮形(mer.)
短縮形(gio.)
短縮形(ven.)
短縮形(sab.)
短縮形(dom.)

曜日を聞く質問:

Che giorno (della settimana) è oggi? 今日は何曜日ですか?
ケ ジョルノ デルラ セッティマーナ エ オッジ
È giovedì. 金曜日です。
エ ジョヴェディ

イタリア語の曜日の名称の由来は、ローマ神話やキリスト教に由来する呼び名が使われています。
月曜日は月の女神ルーナ(Luna),火曜日は軍神マルス(Mars),水曜日は商業の神メルクリウス(Mercurius),木曜日は最高神ユピテル(Iupiter), 金曜日は愛の女神ヴェヌス(Venus)から来ています。土曜日については、英語(Saturday)は農耕神サトゥルヌス(Saturnus)に由来しますが、イタリア語ではラテン語の「ユダヤ教の安息日」を意味するsabbatumに由来します。日曜日についても、英語(Sunday)は太陽神ソール(sol)に由来しますが、イタリア語では「主の日」を意味するdies Dominicus(dies Dominica)から来ています。

月について

gennaio[ジェンナイオ]
febbraio[フェッブライオ]
marzo[マルツォ]
aprile[アプリーレ]
maggio[マッジョ]
giugno[ジューニョ]
luglio[ルーリオ]
agosto[アゴスト]
settembre[セッテンブレ]
ottobre[オットーブレ]
novembre[ノヴェンブレ]
dicembre[ディチェンブレ]
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
短縮形(gen.)
短縮形(geb.)
短縮形(mar.)
短縮形(apr.)
短縮形(mag.)
短縮形(giu.)
短縮形(lug.)
短縮形(ago.)
短縮形(sett.)
短縮形(ott.)
短縮形(nov.)
短縮形(dic.)

月日を聞く質問:

Quanti ne abbiamo oggi? 今日は何月何日ですか?
クアンティ ネ アッビアーモ オッジ
Oggi è il 20 aprile.今日は4月20日です。
オッジ エ イル ヴェンティ アプリーレ

ローマ暦では、3月から始まるのでottobreが8番目の月で、settembreが7番目の月となります。
ローマ皇帝のユリウス・カエサル(Iulius Caesar)、イタリア語ではGiulio Cesare, と言います。
ユリウス・カエサルが、1月から始まる太陽暦のユリウス暦に変え、自分の生まれた7月を「ユリスの月」と制定し、また8月を初代ローマ皇帝アウグストゥスに因んで「アウグストゥスの月」と命名しました。
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