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「イタリア世界遺産の旅」と「誰でもわかるイタリア語」

石黒 秀嗣

ローマ歴史地区(Centro storico di Roma)
その2 トレヴィの泉(Fontana di Trevi)
1980/1990年登録

 ローマの町を歩いていると、街角や広場のあちこちに水飲み場があります。イタリア語では「小さな泉」を意味するfontanellaと言います。ローマ市民はnasoneと呼んでおり、その意味は「大きな鼻」を意味します。大方のナゾーネは円筒形の鋳鉄で作られており、長い鼻のようにチューブの蛇口が下向きに延びています。チューブのカーブする部分に穴があいており、水の出口を指でふさいでチューブ内に圧力をかけ、穴から水がピューと上に噴き出してくるところを飲むように作られています。中には動物などを型どった装飾的な蛇口もあり、市民の喉の渇きを癒し、また楽しませてくれます。ローマ市内には約2000箇所にナゾーネがあるそうです。


スケッチ画 樋口佳代

トレヴィの泉(Fontana di Trevi):
 古代ローマでは、都市が大きくなり人口も増大するなか、早くから水を供給するため多くの水道が建設されました。11本の水道が引かれ、その長さを合わせると350kmになります。水道の終着点には記念碑として人工の泉が作られました。

 今回紹介する「トレヴィの泉」は、皇帝アウグストゥスの腹心アグリッパが紀元前19年に完成させた全長約20kmあるローマ水道「ヴィルゴ水道(乙女の水道)」(Aqua Virgo=Acqua Vergine) の終着点に位置しています。三叉路Trivio)に位置するためこの名称が付けられました。伝説では、水を探し求めていたローマ兵士たちの前にひとりの乙女が現れて、その水源まで道案内をしたと言い伝えられています。それに因んでこの名前が付けられたと言われています。

 現在見られるトレヴィの泉は、1732年教皇クレメンス12世によって建設を命じられたニコラ・サルヴィ(Nicola Salvi)が設計をしました。長さ20m、高さ26mの壮麗で精巧な彫刻で彩られたバロック朝の泉の建設には実に30年の時を費やし、彼の没後、友人でもある彫刻家ピエトロ・ブラッチ(Pietro Bracci)に引き継がれ1762年にようやく完成に至りました。
 トレヴィの泉はポーリ宮殿の壁を利用して作られており、頂上にはクレメンス12世の出身であるコルシーニ家の紋章が飾られています。そして壁面に刻まれた凱旋門を背景に「海の神ネプチューン(ポセイドン)」が貝殻の形をした二輪馬車に乗っています。その馬車を引くのがネプチューンの息子たちトリトン。トリトンは、ラッパのように吹く法螺貝で波を立てたり鎮めたりします。(スケッチ画)トリトンによって操縦された2頭の海馬。一頭は従順で落ち着き払い静かな海を表し、もう一頭は手に負えないほど反抗的で荒れ狂う海を表しています。この泉のテーマは、「動きの変容」であり、そのテーマをシンボル化しているのが「水」即ち「海」です。海はすべての創造物の源泉であり、トリトンは創造する源をあらゆる場所に運び、そしてその源を得るために、また海に帰って行く役割を表しています。
 左右の壁龕(nicchia)の彫像はそれぞれ「豊穣の女神ケレス」と「健康の女神サルース」を表し、上部のレリーフは左手に古代ローマの将軍アグリッパ、右手に古代ローマ兵に泉の場所を教えたとされる伝説上の乙女が描かれています。

 この泉が有名になったもう一つの理由と、観光客にとって忘れてはならないのは、泉に背を向けて立ち、右手で左肩越しにコインを一枚投げると、ローマに再び来ることが出来るという伝説です。そしてコインを二枚投げると好きな人と一生一緒にいられ、三枚投げると別れられるという伝説です。
 泉にコインを投げる伝統は古くからあったようで、古代のローマ人は旅に出るときに家の井戸や泉に小銭や花を投げ入れて無事に家に帰ってこれるように祈ったそうです。
 また右脇に「愛の水」(L'acqua dell'amore)と言われている小さな水飲み場(fontanella)があり、そこで恋人や夫婦で水を飲むと永遠に別れないという言い伝えがあります。これはトレヴィの泉の水がローマで一番おいしい水と言われており、戦いに出掛ける恋人と一緒に水を汲み交わし、愛を誓い合ったことから、今もローマの若者の間で受け継がれているようです。

 古代ローマ時代の遺跡や文化遺産が数多く残るローマでは、老朽化に伴う文化財の修復が急務となっています。財政緊縮策を続けているイタリアで、文化遺産の保護を民間企業が支援する動きが広がるか注目されています。有名なファッションブランド「フェンディ」社は、ローマ市内にある歴史的な噴水を修復および保護することを目的とした「FENDI for FOUNTAINS」プロジェクトの一環として「トレヴィの泉」の修復計画を発表しました。今年の6月から2015年末までに20カ月かけて修復が行われます。修復中も観光客に公開されますが、工事の足場を隠すために実物大の写真を使った垂れ幕を部分的に使用するようです。

■ローマの噴水について
http://www.romaspqr.it/ROMA/Fontane.htm

■トレヴィの泉ガイドと写真
http://www.italyguides.it/it/roma/trevi.htm
http://www.info.roma.it/monumenti_dettaglio.asp?ID_schede=316

■ローマの水飲み場(Nasoni e Fontanelle)
http://www.google.it/search?q=NASONI%2BFONTANELLE&hl=it&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=-m4sUf_COaqVmQXn6IGoAQ&ved=0CEEQsAQ&biw=1117&bih=677

新シリーズ
◆誰でもわかるイタリア語 第18回

このシリーズ「誰でもわかるイタリア語」では、イタリア語の基礎を文法用語に頼って説明することを出来るだけ避け、誰にもわかるようにまとめています。また「単語帳」のコーナーを設けていますので、少しずつ単語や簡単なフレーズを覚えるようにして下さい。

今まで学習してきた過去形は、「...した、...しました」と言うように出来事の完了や過去の経験などを表す過去でした。今回は、もう一つ重要な過去形を学びましょう。一般的に「...していた」と言う過去の進行や状態を表す過去です。その他に「ちょうど...しているところだった」とか「(習慣的に)...したものだった」の意味で使われる過去を「半過去」といいます。

半過去の作り方を学びましょう!

近過去の作り方はessereの変化+過去分詞で表しましたが、半過去の変化は現在形と同じように語尾を変化させ人称を表します。
下の変化表にあるように半過去の語尾変化は規則的に変化します。-vo,-vi,-va,-vamo,-vate,vanoと共通の語尾を持っており、vの音がハッキリしていますので分かり易いです。
よく使う動詞essereだけが不規則なので暗記するようにして下さい。

動詞の原形 abitare
(住む)
leggere
(読む)
dormire
(寝る)
essere
(ある・いる)
io(私は) abitavo leggevo dormivo ero
tu(君は) abitavi leggevi dormivi eri
lui(彼は)
lei(彼女は)
Lei(あなたは)
abitava leggeva dormiva era
noi(私たちは) abitavamo leggevamo dormivamo eravamo
voi(君たちは)
(あなたたちは)
abitavate leggevate dormivate eravate
loro(彼らは)
Loro(彼女らは)
abitavano leggevano dormivano erano

半過去の用法

a) 過去の動作や状態を表す「...していた」の意味で使われる場合。

Aspettavo l'autobus da un'ora.
アスペッターヴォ ラウトブス ダ ウノーラ
私は1時間前からバスを待っていました。
Silvia voleva andare dal parrucchiere ma era lunedì e tutti i parrucchieri erano chiusi.
シルヴィア ヴォレーヴァ ダル パッルキエーレ マ エーラ ルネディ エ トゥッティ イ パッルキエーリ エラノ キウジ
シルビアは美容院に行きたかったけど、月曜日ですべての美容院が閉まっていました。

b) 過去の習慣的な行為を表す「...したものだった」の意味で使われる場合。

L'anno scorso giocavo a tennis.
ランノ スコルソ ジョカーヴォ ア テニス
昨年はよくテニスをしたものでした。
Quando ero ancora giovane, andavo spesso al cinema.
クアンド エーロ アンコーラ ジョーヴァネ アンダーヴォ スペッソ アル チネマ
私がまだ若かった頃、よく映画を見に行ったものでした。

c) 過去のある時点において継続中であって完了し終わっていない動作「...していた」を表す場合。

Guardavo la TV alle otto di ieri sera.
グアルダーヴォ ラ ティブー アルレ オット ディ イエーリ セーラ
私は昨晩の8時にはテレビを見ていました。
Non c'era nessuno a quell'ora in piazza.
ノン チェラ ネッスーノ ア クエルローラ イン ピアッツァ
あの時間には広場には誰もいなかった。

d) 過去の精神的・肉体的な状態を表す場合。

Ero molto stanco e avevo mal di testa.
エーロ モルト スタンコ エ アヴェーヴォ マル ディ テスタ
私は大変疲れていました。また頭も痛かった。
Laura era alta, aveva i capelli neri.
ラウラ エラ アルタ アヴェーヴァ イ カペッリ ネーリ
ラウラは背が高く、黒い髪をしていました。
Da bambino portava già gli occhiali.
ダ バンビーノ ポルターヴァ ジャ リ オッキアーリ
小さいときからもうすでにメガネを掛けていました。

e) 物語や小説の中で状況の設定や風景描写や人物の状態などを述べる場合。

C'era una volta un re.
チェーラ ウーナ ヴォルタ ウン レ
むかしむかし、あるところにひとりの王様がいました。

単語帳

前回は曜日や月についてまとめました。
今回は日、曜日や月を使った言い方について学びましょう。

の前には、「日」を表すgiorno定冠詞ilを付けます。1日だけは序数(~番目)を用いてil primoと言います。

  • oggi è il primo gennaio.[オッジ エ イル プリモ ジェンナイオ](今日は1月1日です。)
  • La prenotazione è il 20 marzo.[ラ プレノタツィオーネ エ イル ヴェティ マルツォ](予約は3月20日です。)

曜日を表すときは、普通は曜日の前には定冠詞を付けません。

  • Oggi è giovedì.[オッジ エ ジョヴェディ](今日は木曜日です。)
  • Sabato vado a casa di Maria.[サーバト ヴァード ア カーザ ディ マリーア](土曜日マリアの家に行きます。)

しかし曜日の前に定冠詞(または前置詞di)を付けると、「毎週~曜日」という意味になります。

  • La domenica vado a chiesa.[ラ ドメーニカ ヴァード ア キエーザ](毎日曜日に教会に行きます。)
  • Il又はdi venerdì abbiamo la lezione d'italiano.[イル ヴェネルディ ディ アッビアーモ ラ レツィオーネ ディタリアーノ](毎金曜日にイタリア語のレッスンがあります。)

を表すときは、月の前に前置詞inを付けると「~月に」の意味になります。

  • In agosto vado al mare.[イン アゴスト ヴァード アル マーレ](8月に海に行きます。)
  • Maria è nata in dicembre.[マリーア エ ナータ イン ディチェンブレ](マリアは10月に生まれました。)

を表すときは、《nel+年》で表します。また「何年の何月」という場合は《月+del(dell'anno)+年》で表します。

  • Mio padre è nato nel 1955.[ミオ パードゥレ エ ナート ネル ミッレノーヴェチェントチンクアンタチンクエ](私の父は1995年に生まれました。)
  • Mia madre è nata nel marzo del 1960.[ミア マードゥレ エ ナータ ネル マルツォ デル ミッレノーヴェチェントセッサンタ](私の母は1960年の3月に生まれました。)
  • Mio fratello è nato il 2 aprile 1976.=Mio fratello è nato il 2 aprile dell'anno 1976.[ミオ フラテルロ エ ナート イル ドゥーエ アプリーレ(デッランノ)ミッレノーヴェチェントセッタンタセイ](私の兄は1976年4月2日に生まれました。)

■手紙や絵はがきなどには《場所+日+月+年》の順で書くのが普通です。英語とは逆になります。

  • 201353日、ローマで=Roma, 3 maggio 2013(又はRoma, 3/5/2013Roma, 3-5-2013

尚、申請書など正式な日付の表示にはil 3 maggio 2013のように定冠詞を付けますが、その他の場合定冠詞は省略することが多いです。

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