愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

「天命起臥之道」に生きる

Dr.BEAUT・ソフィーリッチ代表
医学博士 山中 直樹

「新考える葦・New-Thinking Reed」となろう-9

 西澤潤一(半導体、光通信などで世界的、独創的な東北大学の研究者)は「本に書いてあることは嘘ばかりと思え」と教えています。
 本年初めに古代史や茶の湯の歴史研究者・中村修也により「千利休 切腹と晩年の真実」(朝日新書)が出版されました。
 千利休と言えば表千家、裏千家などの始祖
 実際の家元制の誕生は18世紀であり、利休から表千家では7代目、裏千家は8代目になって初めて生前に家元になった後付けです。
 天皇制で言えば、7世紀後半に大王となった天武が中国の「皇帝」に対して自らが「天皇」を称号として「天武天皇」を名乗り今日では「第40代天皇」と言われるのと同様に利休が初代となっているのも「後付け」です。
 中村修也は一次史料を基にした研究によって、次のいずれも歴史的事実ではないと明らかにしたのです。

1:利休は茶の湯の歴史で「わび茶」「大成者」と言われていること。
2:国宝となっている日本最古の茶室とされる「待庵」は利休によって建てられたと言われていること。
3:秀吉によって「切腹」を命じられて死したとされていること。

 1:では茶の湯と言えば多くの人達が知っている利休を頂点とする「わび茶」の茶道史の基本が事実ではないとされたのです。
 中村修也による根拠は次のようです。
 茶の湯で「わび」と言うのは利休の時代では、「粗末な茶碗」を意味しており、「わび」には、当時はまだ美意識や思想の意味はなく、茶道具のレベルを示した言葉だったのです。
 長次郎に始まる有名な楽茶碗利休の指示で作られたとされていますが、私自身の判断は創始者・長次郎の茶碗を観ていると人に言われて作った作品とはとても思えません。
 利休の指示とは逆で、長次郎が自分の意志、意欲で創作した茶碗を利休が高い評価をして茶碗を高値で売ったのだと思います。
 有名なルソン島の壺を茶壺として利休が付加価値を付けて売ったのと同様だと言えます。
 利休の切腹理由「わび」「安価な茶碗や壺」などを高額で売り、私服を肥やした「売僧」切腹理由の立て看板に記されました。
 しかし、利休は堺の商人であり、大徳寺で禅に傾倒して得度受戒して「宗易」の号を授かっても、利休が評価した茶道具高値で売っても「売僧」とは言えません。
 今日では常識的に行われています。
 長次郎の茶碗やルソン島の壺は、今日も尊重されており、高値で売買されているのは商人としての目利きだったことの証明!!
 中村修也は既成の有名な「わび茶」の説に対して「新考える葦・New-Thinking Reed」な研究者として自分の頭で追求した証し!!

「天命起臥之道」に生きる
このページの一番上へ