文化講座
健康寿命&平和寿命と食生活-3
食生活の豊かさ・・1
前回までにGI(グリセミック インデックス)やGL(グリセミック負荷)の高い食生活が健康寿命にとって最大の障害になると判ったと思います。
つまりは健康寿命&平和寿命を豊かにするためには運動に努めながら、低GI&低GL食に心掛けたバラエティーに富んだ食生活がキーとなるのです。
日本列島の歴史を食生活でたどるとバラエティーのある食事の元祖は縄文時代なのです。
縄文時代は狩猟漁撈・採集生活を行っていたために食料不足に悩まされていたと思われがちですが、1万年以上に渡って豊かな食材があったのです。
弥生時代に始まる稲作によって米を主食とする食生活が始まるまでは、飢餓が起らなかったことを忘れてはなりません。
つまり、その後も米に依存する食生活が続いて凶作で飢餓を引き起こしました。
日本食の特色たる四季折々、地域性ある食材、多種類の動物質食材や植物質食材を狩猟漁撈・採集して食べていたからなのです。
縄文時代は食材が多様で選べたのです。
縄文時代草創期には季節性ある堅果類などを既に貯蔵する貯蔵穴を工夫していました。
醗酵技術も開発して野生のブドウ等を酒類にもしていたのです。
縄文時代での食生活は、今日的に言えば主食はないがバラエティーに富んでいたが故に飢餓に悩まされなかったと言えます。
弥生時代に本格的になる稲作農耕による米食など穀物を主食とする食生活では縄文時代はなかったのです。
例えば縄文時代の関東地方の貝塚から縄文人の食料割合は植物質が5割、動物質が5割だったと試算されています。
台地に定住することの多かった縄文時代の遺跡・貝塚では食料とされた植物質食材は台地状の貝塚では土壌に分解されて消滅しますから、どんな割合を占めていたかはなかなか難しい問題があります。
しかし、琵琶湖の湖底から粟津貝塚遺跡が発見されました。
木の実がそのままの形で残り、多量に出土したのです。
つまり、粟津貝塚では縄文時代の台地にある貝塚ではほとんど消滅退化してしまう植物遺体が多量に出土したのです。
縄文時代の多様な植物質食材としてドングリ、クリ、クルミ、トチなどの堅果類が多量に残っていました。