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信天翁喫茶ワールド

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

「ケガレ・ケ・ハレ」:喫茶・茶の湯のもう一つの道-4

 ケガレ・ケ・ハレの生活律文化が今日にも通ずる人間らしく躍動的に輝き、日本社会に根づいたのは中世であり、神社勢力の無縁社会の行人、散所・散在神人が中心となり、身分が低い半僧や半神で反俗の人達でした。
 日本の中世都市を形成したのは、行人、神人、供御人、寄人身分などとされる人達が中核的存在だったのです。
 平安時代中期以後になると朝廷は、藤原氏を始めとする公家による摂政・関白をめぐって乱れた治世となっていました。
 荘園などを巡って律令制は乱れ、武家達の台頭がおこり、班田、租税を逃れるために逃避したり、自由を求める遍歴者、犯罪人や賎視された人達が、家族や地域から離れて無縁となって、神社支配領域に逃げ込んだために、無縁・公界社会が発達したのです。
 中世では神社領域へ朝廷や公家、幕府と言えども、今日で言う政府権力たる警察権として直接、踏み込んで逮捕することは許されませんでした。
 つまり、不入検断権を発揮できたのです。
 歴史上で言えば、源義経や南朝の後醍醐天皇も比叡山の無縁所に逃げ込んだのです。
 如何なる権力から追われても、悪党であれ無縁所に逃げ込めば、時の政府権力といえども直接には踏み込んで捕まえることが出来なかったと言うことです。
 そして、取り合えず命は保障された無縁所へ入ることも出ることも自由でした。
 南都北嶺の東大寺や興福寺は既に無縁所を獲得していたのですが、京の都にあって比叡山・延暦寺の京都末寺である祇園社が鴨川西岸より東側の東山に広大な無縁所第一号として法的根拠を持った「不入権」を得た1070年(延久2年2月20日)を伊藤正敏(「神社勢力の中世―無縁・有縁・移民」ちくま新書)は中世の始まりなりとするほどの大きな時代転換だったのです。
 白河法皇が自らも荘園を持ち超法規的な権力を発揮した院政を開始したのは1086年ですが、支配した地域は京の都でも鴨川西岸より西側に限られ、近畿内の地域に限られた日本社会全体を統括するほどの中央集権的権力や勢力とは言えなかったのです。
 中央集権的国家は、神社勢力から無縁所の不入検断権を奪った信長、秀吉に始まり家康によって完成されたのです。
 つまり、"愛知の三大英雄"は無縁所の人達による無縁・公界・楽市楽座の社会を統制下において中央集権国家を築いたのです。
 そして、中世を経て徳川幕府によって、近世時代へと転換したと言うことです。

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