文化講座
「臨床喫茶学」:「信天翁喫茶入門益荒男が茶の道」(山中直樹著)の勧め-5
核家族と近代的自我の成熟
血縁、地縁、職縁などからの無縁、弧縁社会が問題となっています。
前回紹介の網野善彦が著した日本の中世の自由な人間関係と喫茶文化の発展は、無縁、公界(クカイ)、楽などの自由な遍歴者による活躍があったからで(網野善彦著「無縁・公界・楽」平凡社)、無縁も活かせるのです。
一方、フランスの女性作家のサガン(Francoise Sagan)が18歳で著した「悲しみよ、こんにちは」には、"人は群れていても孤独"とあります。
人は有縁や群れていても必ずしも心の満足、絆、安らぎとなっていないのです。
我が国では核家族化や家族崩壊がしばしば問題となり、血縁の絆に課題があります。
核家族の孤縁がテーマの黒沢清監督の映画「トウキョウソナタ」(2008年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞受賞作品)は今日的な父親の未熟さの現実を映しています。
会社を解雇された父親は奥さんや二人の男の子供には話すことが出来ず、今までのように出かけてハローワークに通って仕事を探しても思うようにいかず、ショッピングセンターで掃除をする仕事で働き始めました。
母親は家族を守る職業的主婦です。
長男は大学進学ではなく外国人傭兵としてアメリカ軍に入隊するために父親に入隊申請書へのサインを求めます。
しかし、父親は、父親の権威たるパターナリズム的態度で激高し、外国に出るのではなく「日本に居て出来る事をやれ」と対立、母親が仲介しても母親からも離れて自活の道へ出発してしまいます。
そして、アメリカ軍以外の平和な道もあることに気がついたようです。
次男はピアノに憧れて中学校は音楽学校を受験するためにピアノのレッスンを受けたいと父親に願ったのです。
父親は顔を殴る暴力を振るったのですが、家族には内密に給食費をレッスン費用にして密かにピアノの練習に励みます。
音楽学校のオーディションで、ドビッシーの「月の光」を美しく演奏するシーンで映画は終わっています。
息子達は臨床喫茶学が求める日本が目指すべき平和な成熟の道を暗示しているようです。
会社組織から外れた父親は権威の装いはするも「大人じゃない」、最も「子供じみた」人間として、家族内でも意思疎通も含めて情けないお粗末で社会的にも骨抜きになった今日多い弧縁男性の未成熟な現実を映しています。
母親には面倒見の良い賢い強さがあります。
また、二人の息子は、それぞれの意思と決断力があり、近代的な自我を持って打たれても強さを発揮しています。
映画は日本が抱える人間としての未熟さ、成熟とはを考えさせます(キース・ヴィンセント「日本的想像力の未来 クール・ジャパノロジーの可能性」東活紀編)。
今日、若者はとか、家族崩壊を声高に叫ぶのは、この映画での如く、アメリカ従型成熟願望の父親像の人達ではなかろうか。
例えば、スポーツの世界でみても、アイススケート、卓球、ゴルフ、サッカーなどと活躍者は若年化が進んでおり、日本の平和な近代的な成熟に期待が出来るのだと思います。