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茶の湯文化は日本のグローカル文化

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

健康で文化的な日常茶飯の生活 1

オタピー茶の湯は信天流喫茶でレトロモダニズムのアートワールドを楽しみながらの人々との絆を大切にヘルシーライフを求める生活総合文化です。
信天流と呼ぶのは、我が先祖の文人・山中信天翁に由来しています。

「信天翁」は特別天然記念物・国際保護鳥のアホウドリ(阿房鳥)を意味するのです。
ネット上や岡島良平の信天翁略伝資料には、次のような紹介がされています。

山中信天翁は愛知県東浦町の素封家の家に生まれ(1822)、京都に上って勤皇の志士と交遊し、安政の大獄に関わるも風流諸事に託して、新撰組の嫌疑を避けることが出来た。
鳥羽伏見の戦いでは、朝廷側の食料や軍事費の調達の任に就き、東京遷都の際には明治天皇の御用掛を勤めた。
そして、今の宮城県の知事に任命されたが、そのために前任知事が罷免されることを心痛し、すぐさま辞表を出して、1873年にはすべての宮家奉職から退き、京都の下加茂に住み、嵯峨に「対嵐山房」を築いて文芸の道を楽しんだ。
京都に隠棲してからは自適生涯を過ごした。
詩賦文章に長じ、書画にも印篆にも巧みであったが、純芸術家では無くて、儒学に基づく経世の文人であった。
ゆえに美を絶対とせず、現実生活の餘眥であるとし、富岡鉄斎などの文人墨客と交遊した。
文人気質を身につけ、素朴純情な人柄で、生活は倹約質素であった。
しかも友情に篤く、正直で謙譲で、清廉潔白な性情は残された多くの作品に、何のこだわりもなく率直に発露し、職業専門家に見られない風韻が漂って、人心に一味の清風を送る観がある。
詩文、和歌、書に加えて、篆刻、陶器、音律や茶華道、香道も究め、書画金石の鑑識にも通暁していた。
「対嵐山房」は嵯峨大堰川の左岸に築いた。
川を隔てた真向かいは嵐山と対する景勝の位置で、今もその跡に史蹟の標石が残されているとあります。

まさに、山中信天翁には、既に紹介してきた「麁相の心」があると言えます。
それ故に我が信天流喫茶「麁相の心」をキーとするレトロモダニズム(Retro Modernism)のアートワールドを日常茶飯の生活に取り込む生活総合文化なのです。

今日では、ハイカルチャーとローカルチャーの界は定かならず、キッチュ(kitsch)やニッチ(niche)にアートワールドがあります。
日常と非日常、事実と虚構、常識と非常識、プライベートとパブリック、善悪、科学と心霊、芸術家と職芸家や職人、料亭料理と素朴な素材食料理などの界も古きに拘ることなく俯瞰思考がその価値観の判断に求められます。

以上を背景として、オタピー茶の湯: 信天流喫茶のアートワールドは人との信頼の絆に充ちた心豊かな健康で文化的な日常茶飯の生活を送るために地球的視野に立ちながらも我が日本をベースとする地域性を考慮に入れるグローカル(glocal)文化を創造するのです。

茶の湯文化は日本のグローカル文化
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